タイヤのロープロファイル化で横剛性の確保に苦戦
ニュルブルクリンクをわずか2~3周しか走れなかった
平成元(1989)年、日産スカイラインGT–RがR32で復活したとき、『ブリヂストン』の「ポテンザRE71」だけが、標準装着タイヤに選ばれたのは、Z32での苦い経験と物量作戦にあった!
通常、新車装着のメーカー純正標準タイヤは、複数銘柄が選ばれることが多い。だが、R32スカイラインGT–Rは、ポテンザRE71のみを標準としたのはなぜか。
ブリヂストンのポテンザRE71は、国産タイヤメーカーとして初めて、ドイツのポルシェに承認を得たタイヤでもある。
ブリヂストンがポルシェの承認を得ようと動き出したのは、昭和58(1983)年。そして、翌’84年から、ドイツのニュルブルクリンクで開発テストの走行が始まった。
当初、ポテンザRE91という、ピレリP7を範としたようなタイヤで進められていたが、ポルシェ承認を確実にするため、並行して’83年から開発がスタートした、ポテンザRE71の技術が投入された。
RE71は、方向性トレッドパターンという稀にみる独自性を持ち、より高いグリップ力を備えながらコントロール性にも優れ、サーキット走行やタイヤ自身の軽量化なども視野に入れた、画期的なハイパフォーマンスタイヤで、’85年6月、ついにブリヂストンは、このRE71でポルシェの承認を得たのだった。
こうした経緯により、R32スカイラインGT–Rの標準タイヤとして、ポテンザRE71の装着が決まっていくのである。
R32スカイラインGT–RにブリヂストンのポテンザRE71が装着される際、日産の開発車両側で実験主担として関わっていたのは、後にR33とR34で商品主管として責任を担う渡邉衡三。
一方、タイヤメーカー側として自動車メーカーとの技術折衝を行っていたのが、R32当時、ブリヂストンの技術サービス部に所属していた熊野隆二と、その後R33およびR34を担当した吉野充朗であった。
この三氏に、RE71がGT-Rに採用されるまでの過程を振り返っていただいた。