「神の声」を聞いてタイヤを開発
「きっかけは、日産さんの901活動だったかもしれませんが、それまでは、実験部のタイヤ評価をシャーシ設計部から定量的な数値で報告を受け、例えば『コーナリングパワーを15%上げてくれ』みたいな話を伺って、それを弊社のタイヤ設計に伝え、試作タイヤを作り、再び日産さんで評価してもらう流れでした。
しかも、試作タイヤをまず社内で確認する際には、弊社のテストコースで、現行のクルマを使って評価するので、そもそも開発中の新車に適合するわけがありません」
「それで、改良どころか改悪みたいなことも起き、シャーシ設計のご了解を得たうえで、実験部に直接お話を伺いに行かせていただくお願いをしたのです。当然ながら、実験の方と直接話をさせていただくことで、開発の効率は飛躍的にあがりました」と熊野。
「今ではほとんどの新車用タイヤ開発が自動車メーカーとの共同開発になっていますが、それができたのは日産さんが最初でした」と、吉野は言う。
ニュルブルクリンク近くにある開発基地で撮影されたスナップショット。一番右が吉野氏である。当時、R34の商品企画主担を務めていた田村宏志氏(現R35GT-R・CPS右手前2番目)や加藤博義氏の姿もある
「ただ、GT–Rのタイヤ開発となると官能評価が重要性を増し、テストドライバーの方の哲学的な表現の言葉を、どのようにタイヤ技術や諸元に落とし込んで設計者に伝えるか、そこが難しかったですね」と熊野が続けると、「いわゆる『神の言葉』というやつですね? 加藤博義さんの秋田弁も難解だったかもしれませんね(笑)」と、渡邉は微笑む。
「ニュルを加藤さんが走って、スタート直後に『何これ?』とダメ出しされたことが何度もありました」とは、吉野の思い出である。
ほかにも、開発で思い出すのは、「いろいろな場所へ一緒に連れて行ってもらえたことですね」と、吉野はうれしそうに語る。
「通常は、ブリヂストンの栃木のテストコース内で開発を進めるのですが、GT–Rの場合は、筑波サーキットをはじめ、鈴鹿サーキット、九州のオートポリスや、仙台ハイランド、そして陸別にある日産さんのテストコースへも頻繁に同行させてもらいました」
熊野は「陸別のテストコースができたのはR32GT–Rの開発がきっかけと耳にしましたが、ニュルブルクリンクにあるようなジャンピングスポットもあるんですね」と、感嘆する。
「共同開発ということで、わたしは日産さんのテストコース内を運転するための資格をタイヤメーカーとしては最初に取得させていただきました」とは、吉野である。
日産とブリヂストンがこうして強固な人間の絆を結んだからこそGT–Rが生まれたことが、今回解き明かされた。(文中敬称略)
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