「レースに勝つ」をテーマにデザインした
R32型スカイラインGT-R
「わたしの中でスカイラインは『速いハコ』。セダンが基本であり、クルマ全体で速さを表現するものだと考えています」
そう語るのは、日産R30型スカイラインのマイナーチェンジを皮切りに、R34型までの直6エンジンを搭載するスカイライン、そして第2世代GT–R(BNR32、BCNR33、BNR34)すべてのデザインに携わった西泉秀俊。
「クルマとして我慢したところがないと言い換えてもいいでしょう。それはデザインだけでなく、パッケージも含めてすべてが新しかった。見ていて清々しかったですね」
また、一介のデザイナーの想いが細部まで反映できた、とも西泉は語る。
「32の開発当初はエクステリアデザインだけでなく、ヘッドカバーやエンブレム一つに至るまでトータルでわたしがデザインしていました。つまりチーフデザイナーとして隅々まで自分らしさを表現できました。32のマイナーチェンジごろから分業化が進み、それをチーフデザイナーが監修するスタイルに変わりましたので……」
その拘りの一つが、フロントフェンダーに付くGTのエンブレム。
西泉はGT–R以外に赤バッジを付けることを頑に拒んだ。そのため、GT–R以外は無地のメッキ塗装(GXi以外)となっている。「赤いGTバッジはGT–Rの証。それを他のグレードに採用するのはありえない、と個人的には思っていました。ただ、32の後期型ではあっさりタイプMも付きましたけれど……」と笑う。
じつは、西泉がR32型スカイラインのデザインチームに加わったのは、そのクレイが4分の1からフルサイズに移行する時期からだった。
スカイラインらしさとはスポーティであること
「R31の反動で、スポーティーに振り戻そうという志が非常に強かった。また、新しく見えるデザインも望まれていました。とくに4分の1のクレイでは従来のスカイラインらしさにとらわれない斬新なデザインも数多く見られました」
事実、基準車も5ナンバーという制約の中で、アスリートのような引き締まった筋肉美と踏ん張って速そうな躍動感が表現され、プロテクションモールを持たないスタイリッシュなデザインに仕上がっている。
一方、GT–Rのデザインはどうか? 基準車の特徴であるボディサイドに流れるキャラクターラインを折ったフォルムは、スマートな雰囲気は若干失ったが、その分、速さと強さをプラスした。
R32型スカイラインの決定案をベースに描かれたGT-R最初期のスケッチ。量産車のイメージはあるが、小さなフロントグリルとボディ一体のリヤスポイラーなどどことなくR33型スカイラインをイメージさせる。基準車のようなクリーンなイメージだ。
西泉の考えるGT–Rとは、ずばりレースに勝つためのデザイン。
機能とデザインの融合も一つのテーマだった。さらにR32のイメージリーダーカーに相応しく、ひと目でGT–Rとわかるデザインを盛り込むため、フロントグリルとリヤスポイラーなどに手を加えている。
発売当時、誰もが驚いた大型リヤスポイラーはボディの変更が認められないグループA参戦を前提に風洞実験を繰り返し、煮詰められた。
「横桟グリルは開口面積を広げるためというもっともな理由をつけて採用しましたが、実はグリルレスでグループAに参戦しても冷却性能は確保されていました。これは基準車よりも力強さを表現するためのデザインです。
使う、使わないはレース部門の仕事と割り切っていました。リヤスポイラーは駆動力を路面に伝えるためのダウンフォースを確保するために採用しています。最初ウイング上面はフラットな形状でしたが、ダウンフォースが足りないということで、最終的には後端を垂直なリップ形状にしました」
さらにエボリューションモデルといえる「GT–Rニスモ」のエクステリアデザインも西泉が担当している。
「こちらはデザインというよりも完全に機能部品です。すべては現場からの要望で、サイズ、大きさも指定してきましたから、結構ギリギリまで試行錯誤を繰り返しました」
平成2(1990)年に登場したホモロゲモデルである「GT-R NISMO」。フロントダクト/フードトップモール/リップスポイラー/シルスポイラーのデザインはレース車両の開発現場からの要求で追加されたもので、機能を優先でデザインした。
部署間を飛び越えて、活発な意見交換がなされた「R32プロジェクトチーム」の決定で、変更されたデザインもある。
「実はメーター類は最初、基準車と同じ水平指針で設計が進んでいました。ブルーのメーターパネルが未来的でスタイリッシュな雰囲気でしたが、GT–Rならイエローやレッドゾーンが見やすい位置にあるほうがいいのではないか、という意見が多数持ち上がりました」
「結局、チームの意見を採用し、左下から針が始まるデザインに変更しました。デザイン以外のスタッフと一緒になって、デザインを考えるなど、今まででは考えられなかったこと。R32は寄って、たかって面白いものを作っている印象でした」
新しいスカイラインを作る、いや新しい日産を作る。シャシー設計が発端となりスタートしたP901活動は関わるスタッフのみならず、日産全体を活性化させる力になっていた。
「その活動の最高峰の存在であるGT–Rに関わり、実際にデザインを手掛けているという事実が、当時は何より自分の力となっていました。自らデザインしたクルマで購入したのは後にも先にもR32のみ。今も特別な想いがあります」
発売当時は若干、青っぽいと感じたスタイルも、25年が経過した今。
そのコンパクトさやウエストの低さ、全体が醸し出すかたまり感が気持ちいい。西泉にとってのR32はデザイナーとして思い描いた理想のスカイライン。それを現実のものとすべく心血を注いだ、まさに魂を込めた1台といえるだろう。(文中敬称略)
(レポート:GT-Rマガジン編集部)
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