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短期集中連載「トラック野郎・一番星号」復活への道vol.4

ナイトシーン復活へ向けて電飾を大修理

「一番星号」の特徴といえば「デコトラ」という言葉を世に広めるキッカケになった電飾だろう。それだけに今回の復活劇において、一番星号の電飾を再び灯すことは大きな課題であった。だが、それは作業的な難所でもあった。

電飾の手直しを行ったのは滋賀県の「DKオリジナル」(代表・生駒雅巳氏)である。ここは電飾作業を得意とするところだが、そのDKオリジナルをもってしても、一番星号の電飾は大変な作業だったという。

ちなみに、一番星号の電飾だが、映画を見る限り誰もがヘッドライトなどと同様に、トラックのバッテリーから電気を取っていると思うだろう。
ところが、実際は箱(荷台)のなかにガソリン発電機を積み、そこで作る100V電気で電飾を点灯させていたのだ。
その理由は定かでないが、当時のトラックの電装品であれだけの電力を安定して供給するのは難しいと思われる。「一番星号」は劇中車であったと考えれば発電機搭載は当たり前のことと言えるかもしれない。

電飾の電球を磨き、配線1本1本交換する

電源はガソリン発電機から取ることに変更はなく、今回の手直しでは長年交換されていなかった電飾パーツの交換が主な作業である。まず電球だが、切れているものは当然交換し、使えるものはきれいに磨いて再利用する。
つぎにソケット。ここは台座ごと新調することになった。

しかし、トラック用品の市販ソケットでは発電機の100V電流に対して容量面で不安がある。そこでで、すべてのソケット配線を太いものに交換するという気の遠くなるような作業を行ったのだ。

さらに電飾の点灯パターンを作り出すリレー回路も製作したのだが、点灯パターンの設定データなどは残っていない。映画を見直しながら点き方を調べていったという。このこだわりには脱帽である。

リアの箱(荷台)における電飾点灯パターンを再現するためにまずは模型を製作。模型はLEDを使っているが数は実写に合わせたという。新たに揃えたソケットは台座がシルバーだが、劇中ではここが黒なのですべて黒で塗り直している。
この作業中に菅原文太さんの訃報が報道された。そのためTV局も一番星号の取材にきていた。

菅原文太さんの追悼イベントで初点灯

完璧に修復された「一番星号」の電飾は、菅原文太さんの追悼になった全国哥麿会のカウントダウンイベントで点灯式が行われた。
これが、映画「トラック野郎」ファンの夢であった一番星号のナイトシーン。

これだけの電球をパターン点灯させるための電力を作り出しているのが、箱(荷台)に搭載されている2台の発電機だ。

長年の風雨で劣化してしまった箱絵を修復

最終仕上げといえる「箱絵」の修復にいよいよ着手。この箱絵は長年に渡り風雨にさらされていたので全体的に痛みが激しいため、加筆して直すのは無理である。
そこで一度剥離してから描き直すことになったのだが、なにぶんサイズが大きいのでまずはリアの観音開き扉の絵から修復することになった。

この箱絵の描き直し作業は、キャブ(運転席部分)の絵柄と同様にネモト功芸社が手がけたのだが、今回は心強い助っ人に来てもらっていた。
その人は元東映美術監督である桑名忠之氏。「トラック野郎」製作スタッフであり、美術監督として一番星号の箱絵を手がけた人である。
一般的に「絵」はどんなにそっくりでも描き直しされたものだと魅力は半減しがち。だが、今回はオリジナルを作った人が加わっているので、描き直しといってもその魅力が褪せることはないのである。

長年、風雨にさらされていたため痛みの激しい箱絵。ここは一度すべて剥離されてから新たに描き直されるのだが、今回はまずリアの観音開き扉の絵から着手された。

当時の美術監督が加わり箱絵を描き直す

帽子を被っている人が元東映美術監督の桑名氏。一番星号の箱絵の原作者だ。多くの資料を集めたうえで再生作業が行われた。

その作業を行ったのはネモト工芸社のガレージ。剥がした元絵の塗料は捨てずに集められて保管。塗料の破片はイベントなどで来場者に頒布する予定とのこと。

塗装以外にもマーカーランプの位置決めも行う。真横から撮影された資料がないのでここもひと苦労。
このように、多くの人の知識、そして情熱と努力によって「一番星号」は復活を遂げていったのである。

<トラックカスタム・プロショップ>

 

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