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「HKS」の歴史を彩ったファクトリーマシン6選!

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HKSに大切に保存されている
往年のレーシングマシンと開発車両

1月29日に富士スピードウェイで開催された「HKSプレミアムデイ」で、HKSのマシン6台(HKS GT1000+/Racing ALTEZZA/300E TEST CAR/HKS OPEL VECTRA/HKS ZERO DRAG SUPRA/Gr.A BNR32)が展示された。
それぞれ、HKS史上で一時代を作り上げ、大きな功績を残したマシンばかりだ。
このようなデモカーは、静岡県のHKS本社で大切に保管されている。

 

HKS GT1000+

平成19(2007)年のデビューと同時に購入し、7年という時間を掛けて日産R35型GT-R用のさまざまなパーツ開発を行ってきた「HKS」。
その最終進化形といえる強化パーツをふんだんに奢った究極のフルチューンR35型GT-Rが『HKS GT1000+(プラス)』だ。
排気量は3.8リットルから4.3リットルにまで拡大され、タービンはオリジナル開発のGT−II。ミッションも新設計の強化タイプに交換されるなど、ブレーキとタイヤ&ホイールを除けば、ほぼHKSパーツで武装。そのスペックはオリジナルの480ps/60kg−mから1300ps/130kg−mという驚異的な数値にまで引き上げられている。
このモンスターGT−Rは平成26年にはオーストラリアで行われた世界最速決定戦と銘打たれた「WTAC(ワールドタイムアタック)」では、R35型GT-Rクラスで初代チャンピオンに輝き、ホームグラウンドといえる富士スピードウェイではスーパーGT・GT300クラスのレーシングカーに匹敵する1分37秒773のチューニングカー最速のタイムをたたき出している。

Racing ALTEZZA

「HKS」が未来のレーシングマシンとしての方向性を示唆する意味をこめて平成12(2000)年の東京オートサロンで発表したモンスターマシン。
トヨタ・アルテッツアの名前は冠しているが、キャビンはパイプフレーム化され、外装はカーボンで成型、足まわりもプッシュロッド式。市販部品が使用されているのはヘッドライト、テールランプ、ABCピラーのみと中身は完全にレーシングカーだった。
エンジンはトヨタ・セリカなどに搭載された3S−GTE型2リットルターボを2.2リットル化してフル強化。これにHKSのボールベアリングタービンで最大級クラスになるGT3037Sをドッキング。持てる技術のすべてを投入したエンジンは600psにまで到達した。
当時タイムアタックの聖地と言われた筑波サーキットでは55秒853の驚異的なタイムを記録している。

300E TEST CAR

平成4(1992)年、「HKS」開発チームが2年の歳月をかけて、最高峰、究極を掲げて完成させたオリジナルのF1用エンジンが『300E』型。3.5リットルV型12気筒5バルブは市販ガソリンを使用しながら、680ps/1万3,500rpm、レースガソリン仕様では700psオーバーの恐るべきパワーを引き出した。
しかも、エンジンを完成させただけに止まらず、F3000(現スーパー・フォーミュラ)マシンに搭載して富士スピードウェイでシェイクダウンも行った。
エンジンパワーにシャシーとトランスミッションが耐え切れず、周回は数周に止まったが、この大いなるチャレンジは「HKS」の開発力の高さを世界に知らしめた。この300EのノウハウはのちのオリジナルF3用レースエンジン『310E』の開発に生かされた。

HKS OPEL VECTRA

平成5(1993)年まで開催された人気のグループA(全日本ツーリングカー選手権)レースに変わり、2リットル4ドアセダンによる日本最高峰のツーリングカーレースとして翌年から始まった「JTCC」レース。
「HKS」が参戦マシンとして選んだのが初代オペル・ベクトラ。車両はBTCC(イギリス)で活躍するレイマーロック社から購入するが、エンジンは自社でチューニングを施し、2リットルNAで300psを絞り出すハイチューンであった。
記念すべき開幕戦では第1戦、2戦で優勝し(JTCCは1日2戦あった)、並み居る自動車メーカーワークスチームを相手取って年間4勝をマークし、シリーズ4位を獲得した。
展示車両は参戦最後となる平成9年シーズンを戦った2代目オペルベクトラ。飯田章選手のドライブにより第12戦で優勝を飾っている

HKS ZERO DRAG SUPRA

平成2(1990)年アメリカから輸入したドラッグレース専用の初代(海外では3代目)トヨタ・スープラのプロストックボディ(中身はフルパイプフレーム)に、トヨタの7M–GT型ツインターボエンジンを搭載。
高回転化のためにショートストローク化(レブリミットは8750rpm)を施し、排気量を3リットルから2.8リットルにダウンするなど勝つために徹底的に手が加えられている。
フルチューンが施されたエンジンは850ps(まだ最大過給圧は1.4kg/cm2であった)という圧巻のパワーで、RRCドラッグレースの最高峰であるプロストッククラスをデビューイヤーで制した。
また、翌年には当時ドラッグの壁と呼ばれた8秒台を見事に打ち破る7秒91という素晴らしい記録を達成するとともに、2年連続でシリーズ優勝に輝いた。

 

Gr.A BNR32

国内最高峰であり、人気の高かったグループA規定で行われる全日本ツーリングカー選手権。「HKS」は平成4(1992)年から最高峰のディビジョン1クラスに日産R32型スカイラインGT−Rで参戦。
他チームは日産工機というメーカー直系のエンジン開発部門(REINIK)から供給を受けていたが、エンジンメーカーである「HKS」は自社開発を選択。
参戦1年目はトラブル対策に追われたが、徐々にデータを蓄積。翌平成5(1993)年は日産工機製エンジンを凌駕するパワーを得ることに成功。
そして、第3戦のスポーツランドSUGOでは念願のポールポジション&初優勝、第6戦の筑波サーキットでもポールポジションを獲得している。
展示車両は1993年モデルで、黒をベースに赤/緑/青で彩られた派手なカラーリングはHKS製オイルである“SUPER OIL”缶に施されたデザイン(当時)だった。
同レース終了後は本社に保存されていたが、平成21(2009)年にはレストアされ、現在ではイベントなどで走る姿を見ることができる。

(レポート:GT-Rマガジン編集部)

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