トヨタの常識から逸脱したクルマ作り
タイヤには頼らずシャーシで走らせる
デビューから5年が経とうとしているトヨタ86&スバルBRZ。その誕生には、スポーツカーならではの特別なことや苦労がたくさんあったはずである。
編集部では、約3年前『チーム多田』と呼ばれる、トヨタ86開発に携わったトヨタのスポーツ車両統括部(当時)の7人のキーマンに話を聞いている。
今回は、トヨタ86を生み出す上でチーフエンジニアである多田哲哉さんのもっとも近くで支えていた今井孝範さんの話を振り返ってみよう。
トヨタ86(以下86)の開発にはさまざまな障害があった。
スポーツカーという販売台数が見込めず、利益が確保しにくいという要件も大きかった。
しかし、それ以上に困難だったのは、スバルとの共同開発ということだった。異なる企業文化の中で、お互いが苦労していたことは、想像に難くない。だがメリットもあった。
トヨタ自動車スポーツ車両統括部 ZR(2014年2月当時)今井孝範さん
エスティマやウィッシュのサスペンション設計を経て、86開発初期から担当。多田チーフエンジニアとともに車両構想、パッケージング検討などのコンセプトを仕上げた。その後G’sの車両開発なども担当し、現在は86の年次改良やマイナーチェンジの企画を進めている
「多田さんから今度AE86(1980年代に販売された最後の後輪駆動カローラ&スプリンター)みたいなスポーツカーの開発をやることになりそうだ、ということを聞かされたのは、2007年のトヨタ・ウィッシュの試乗会だったと思います。個人的にAE86を学生時代から乗っていたこともあったのか、実際の開発を多田さんと2人でスタートしました。そこでAE86とは何か、いろいろと話し合うところから始まったんですね」
トヨタには部品の共用化、とくにどんなクルマにも使っているようなルームミラーなどは、できるだけ共用化する方針なんですね。そういったパーツでもこのクルマとして必要と思った部品はできる限り専用化していきました。やはりスポーツカーというものに対する多田さんのこだわりがあったんだと思います。ルームミラーをフレームレスにしていますが、スポーツカーにはそういうところが大事なんだ、という多田さんの想いがありました」
(レポート:岡村神弥 撮影:水川尚由)
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