’60年代と’70年代のフェチに捧ぐ
古き良き内外装を振り返ってみた
“スカイアクティブ・テクノロジー”のシャーシやエンジンだけでなく、”魂動デザイン”によるエクステリアなど、マツダは本当にいいクルマを作っている。少し前までは、一体どうしたの!?と心配になる時代もあったが、今やじつに洗練されているとつくづく思う。
しかし、昔のマツダ(東洋工業時代)は違った意味でいいクルマがあった。現代のような魂動デザインで統一といったブランドアイデンティティがないぶん、車種ごとのキャラクターがじつに明確。そんな違いが分かる内外装について触れてみたい。
サバンナGT(1972y)
1971年に”ロータリースペシャリティ”のキャッチコピーで登場した初代『サバンナ』。
翌年、パワフルな12A型ロータリーエンジンを搭載した最上位機種として登場したのが、”GT”だ。
RX-7の前身にあたる『サバンナ(輸出名:RX-3)』には、ボンネットやリヤウインドウ横のピラーにスリットダクトを設けるなど、流麗なボディに機能性を持たせたアクセントが備えられた。
当然ながらトランスミッションはフロア5速。1972年の日本グランプリにて、日産スカイラインGT-R(ハコスカ)の50連勝を食い止めたことは有名な話だ。
黒を基調としたインテリアも個性的な仕立て。
例えばシートには座面と背もたれのセンターには、編み上げが施されている。
広島県「マツダミュージアム」に展示されていたサバンナのヘッドレストには、ロータリーエンジンを主張するローターデザインをエンボス加工。このアイコンは、近年ではRX-8のシートにもホールデザインで採用された。
コスモスポーツ(1967y)
1967年、世界初の量産型2ローター・ロータリーエンジン(10A型)を搭載した2ドアクーペ。
写真は、300台余りしか販売されなかったデビューイヤーモデルで、148万円という価格も当時としてはかなりの高額車だった。1972年までの累計販売台数は、1100台あまりという希少車。
ちなみに「帰ってきたウルトラマン」の劇中車としても使用された。
フェンダーサイドのスリットダクト。路面と平行に走るボデイ側面のプレスラインなど、いま見てもカッコいい。
ウインドウモールやピラーのダクトなどのメッキ処理など、高級感の演出もうまい。
千鳥が連なって飛んでいるような千鳥格子柄をセンターに与えたモダンなシート。
室内のドア取っ手部分にもメッキモールのような処理を投入。水温、油温、タコメーターなど、高性能を主張する7連メーターも特徴的だった。
ルーチェ・ロータリークーペ(1969y)
初代ルーチェ・ロータリークーペは、マツダ初のFF車(フロントエンジン/フロンドドライブ)。
エンジンは大径ローターを持つ13A型(655cc×2ローター)を搭載。後にも先にも他のマツダ車には積まれることはなかった、幻のエンジンである。
というのもトラブルが多かったうえ、他車種と互換性のない複雑なメカニズムにより、維持するのは難しかったようだ。生産台数は1000台にも満たず、わずか4年という儚い命だった。
とはいえ、日本車らしからぬじつに美しい2ドアハードトップである。
ラグジュアリークープにふさわしいレザーファントムトップ。
短パンで乗れば、太もも裏に跡形が付きそうな個性的デザインを与えたシートも特徴的だ。
コスモAP(1975y)
コスモスポーツの生産終了から3年後の1975年。
オイルショック直後に、高い動力性能と低燃費を実現させて『コスモAP』というネーミングで復活を遂げた。他メーカーに先駆けて(昭和)51年排ガス規制をクリアさせたことなどから”AP(アンチ・ポリューション=公害対策)”と付けられた。
エンジンは、おなじみの13B型ロータリーエンジンを筆頭に、レシプロエンジン搭載車も設定。丸目4灯の流麗な2ドアクーペは、コスモ・スポーツの2シーターではなく5人乗りだったのも特徴だ。
まるでアフター品のようなスクエア形状を持つマフラーのテールエンド。当時としては、ココ(マフラーエンド)までデザインされることは希少で、細部までコダワリが感じられる。
また、懐かしいベルベットのようなシート表皮や、バンジョー風スポークを持つステアリングなど、内装の色使いや質感も絶妙。凝ってます!!
車種ごとのキャラクターが明確だった、当時の古き良きデザイン美学。
現代のようにひと目で「マツダ車」と分かるイメージ作りもいいと思う。それだけ”魂動デザイン”はすごく完成されていると感心させられる。
それだけに、また新たな”マツダデザイン”を見てみたいと思ってしまった。
サバンナRX-7(1978y)
ファミリアプレスト・ロータリークーペ(1970y)
協力:マツダミュージアム TEL082-252-5050
*見学には予約が必要です
(レポート:ちんサブ)