日産/NISMOを身近に感じる感謝祭がスタート
20年の歴史を振り返る
自動車メーカー系が主催するモータースポーツファン感謝イベントとして最も古い歴史を持ち、熱いファンが大挙する「NISMO FESTIVAL」が2017年で記念すべき20回目を迎えた。
今回はその歴史を振り返るとともに、この熱きイベントの裏舞台にも迫った!
『1997y 第1回ニスモフェスティバル』
日本グランプリの興奮とル・マンの感動が重なる第1回ニスモフェスティバル
GT-Rのル・マン24時間レース挑戦を応援する会員クラブ”クラブ・ルマン”への感謝を直接伝える。第1回の『NISMO FESTIVAL』はNISMO社員のそんな思いで誕生。すべてが手作りのイベントだった!
日産ファン感涙の歴代のレーシングカーを一同に展示!
記念すべき『ニスモフェスティバル』の第1回は平成9(1997)年11月30日に晴天に恵まれた富士スピードウェイで開催された。
企画・運営はイベント会社を使わず、すべてニスモ社員の手で行われた手弁当イベントであり、このコンセプトは現在も継承されている。注目のコンテンツは、その年のル・マン24時間レースに挑戦したR390GT1の国内初のお披露目。そして新旧GT-Rによる全開走行だった。
映像や写真でしか見たことがなかったR390の迫力ある走りや初代ハコスカGT-Rによるランデブー走行に歓声が上がっていた。また、平成5(1993)年を最後に姿を消したR32型のグループA仕様(ユニシアジェックス)の咆哮は、かつてのレースを知る者にとっても鳥肌の立つような感激を覚えた。
メインイベントは、これらさまざまなカテゴリーのマシンが一度にコース上を走る”模擬レース”。まさにモータースポーツの異種格闘技といった催しで、見たこともないシーンの連続にファンの目は釘づけとなったことは間違いない。
また、日産/ニスモの契約ドライバーによるトークショーやレースクィーンによるファッションショー、そしてガレージセールなどパドックの催しも大盛況だった。
現在のニスモフェスティバルに比べれば、走行台数は少なかったが、このドリームマッチはその後、20年に渡る同イベントの基本的な骨格となり、モータースポーツの歴史を肌で感じることができるメーカー系イベントの先鞭をつけた。