高橋国光選手の引退セレモニーに拍手の嵐
『1999y 第3回ニスモフェスティバル』
“国さん”にはやっぱりハコスカGT–Rがよく似合う!
ルノーと日産の資本提携が行われ、日産モータースポーツ活動にも大きな変化があった平成11(1999)年。この年の主役はやはり”国さん“こと高橋国光選手。すべての来場者が最後の走りをその目に焼き付けた。
カルロス・ゴーン社長来場新時代の到来を感じさせた1999年に開催された「富士ル・マン1000kmレース」ではR391がトヨタのTS010を破り優勝。この年のニスモフェスティバルは苦戦を強いられたル・マン24時間レースへの汚名を晴らした余韻が残る11月21日に開催され、来場者数が初めて3万人を超えた。
JGTCでもペンズオイル・ニスモGT-Rが、イギリスのBTCCでもプリメーラが2連覇を達成するなど、前年に引き続き日産/ニスモの活躍が目立った年だった。
ただ、日産がルノーと提携し、日産/ニスモを取り巻く環境が大きく変わった。カルロス・ゴーン氏が社長に就任し、日産の経営再建に着手。その中で継続してきたル・マン24時間レースへの参戦も中止という決断が下されている。
新社長のカルロス・ゴーン氏も視察に訪れる中、開催された第3回は新たに会員限定のファミリー走行やタミヤのR/Cカー広場などが行われ、さらにコンテンツが充実した。
この年のトピックスは“国さん”こと高橋国光選手の引退セレモニーを行ったことだ。当時の国さんは他メーカーで活躍するドライバーだったが、日産ワークスドライバーとしてハコスカGT-Rを駆り、栄光の記録を作り上げた立役者のひとりである偉大なドライバー。ファンと共に感謝の気持ちを表すためにセレモニーを行なった。
また、ルノーエンジンを搭載したウイリアムズのF1マシン(当時)をはじめ、ルノー車を多数招聘するなど、日産の新たなグローバル化の流れを感じた年であった。