引退式に華を添えた赤と黒のスカイライン
『2000y 第4回ニスモフェスティバル』
長谷見昌弘ファンでグランドスタンドは埋め尽くされた
過去のレーシングマシンを復刻し、動態保存するNISMOFESTIVALの人気コンテンツが生まれたのは2000年。その第1号がR30シルエットフォーミュラ。NISMOメカニックの手で甦り、長谷見選手の引退式を盛り上げた。
ニスモのレストア計画始動R30シルエットが再び甦る
第4回の主役は日産ワークスドライバーの重鎮、長谷見昌弘選手、そして1980年代にモータースポーツファンを熱狂の渦に巻き込んだグループ5(スーパーシルエット)の“トミカスカイラインターボ”だった。
イベント当日に行われる長谷見選手の引退式に間に合わせるように復元された赤/黒のマシンは、ボディサイドの排気管から大きな火炎を吹き上げながら減速する往年の雄姿を披露。その豪快な走りは多くの日産/ニスモファンに感動を与えた。
さらにもう1台。前年に引退した高橋国光選手が、ドリキンこと土屋圭市選手と走らせたグループA仕様のタイサンGT-Rもニスモの手で復活。歴代の名車をただ見せるだけでなく、走って”魅せる”という動態保存の流れが生まれたのがこの年だ。
また、初のイベントとして注目されたのが”GT-Rチューニングカーレース”。全国のチューナーが腕によりをかけて製作したGT-Rが集結し、白熱のバトルを繰り広げた。ニスモからもR34型GT-Rをベースにした究極のマシン“Z-tuneプロト”が持ち込まれ、初レースを制した。
全国のショップを巻き込んだモータースポーツ以外のコンテンツはこのイベントに新たな魅力が加わったといえよう。
そして、この年からグランドスタンド裏のスペースもイベント会場となり、その規模も大きく飛躍。また、現在も人気アトラクションでサーキットサファリが初登場している。来場者数も過去最高の3万9000人を集め、富士スピードウェイ周辺は、昼近くまで大渋滞が続いた。
[リポート:GT-Rマガジン編集部]