日産/NISMOを身近に感じる感謝祭がスタート
20年の歴史を振り返る
自動車メーカー系が主催するモータースポーツファン感謝イベントとして最も古い歴史を持ち、熱いファンが大挙する「NISMO FESTIVAL」が2017年で記念すべき20回目を迎えた。
今回はその歴史を振り返るとともに、この熱きイベントの裏舞台にも迫った!
新型Zのお披露目に日米約90台の歴代車が集結
『2001y 第5回ニスモフェスティバル』
世界最速のモンスター“グループCカー”の共演が実現
‘01年の主役はGT–RではなくフェアレディZ。発売前のZ33型の左ハンドル車両を持ち込み、日本のファンにPRした。アメリカからZの父こと片山豊氏(故人)が登壇。カルロス・ゴーン社長、来場者と共に復活を祝った。
ポルシェ962Cが来襲日産R92CPと大バトル
過去4年間はGT-Rをメインにしたイベント構成だったが、第5回は日産スポーツカーであるフェアレディZにスポットが当てられた。これは直前の東京モーターショーで新型のZ33がお披露目され、翌年夏に発売されることが決まっていたことが大きな理由であった。
この年のメインコンテンツは歴代Zのパレードラン。先頭を走るのは北米仕様のZ33型。ドライバーはカルロス・ゴーン社長、その横には“Zの父”として国内外で有名な片山豊氏が座るというなんとも豪華な組み合わせで富士に集まったファンに走る姿を初めて披露した。
また、Zの第2の故郷といえるアメリカで活躍した往年のレースカーとレジェンドドライバーも招待。BRE仕様の510型ブルーバードに乗るジョン・モートン、そしてIMSA仕様のZ32型フェアレディZに乗るスティーブ・ミレンの二人だ。
さらに幻のLY28エンジンを搭載した初代フェアレディZレーシングがレストアされ、“Z使い”の異名をとった柳田春人氏のドライブでその雄姿をファンに見せ付けた。
そして、もうひとつの目玉として用意されたのが、グループCカーによる走行。日産からはYHPとカルソニックのR92CPが2台。さらにタイサンとシェルのポルシェ962Cが持ち込まれ、異次元の高速バトルを再現。最高速300km/hを軽く超えるというストレートの圧倒的なスピードに観客は酔いしれた。
この年の来場者数は前年を上回り、ついに4万5000人を記録。名実ともにビッグイベントに成長した。
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日本一速い男・星野一義選手のラストラン
『2002y 第6回ニスモフェスティバル』
‘70年代を代表する日産の名ドライバーがまた一人引退
‘02年のNISMO FESTIVALは星野一義選手ための日だった。ラストランを見ようと過去最高の4万9000人が来場!あいにくの雨模様だったが、最後の最後まで熱い男の走りは健在だった。すべての来場者が「ありがとう」と叫んだ。
涙雨が降る富士の裾野に4万9000人が大集結!
12月1日に行なわれた第6回は、日本一速い男の称号を持ち、熱い走りでファンを感動させた星野一義選手の引退イベントの色が強かった。
過去5回のイベントは晴天に恵まれたが、初めての雨天開催となった。時折ドシャ降りに近い雨により路面状態は悪く、走行イベントがパレードランに切り替わるコンテンツも多かった。真剣バトルが見ものであり、この年からGT-Rに加えてシルビアも交えるなど注目が高かった”チューナーズバトル”も本気の走りを見ることは叶わなかった。そんな冬の冷たい雨の中、星野一義選手のラストランを見ようと、20回のNISMOフェスティバルで最高の4万9000人の観客が集まった。
恒例の復活車両は、星野選手の希望でチェリーX1-Rレーシング、そしてスーパーシルエットのニチラ・インパルシルビアターボが選ばれ、さらにGT-Rファンにとっては印象深いグループAのカルソニックスカイラインはホワイトボディから新規で製作。前日のチェック走行でも「今まで乗ったグループAで一番良いね」と星野選手も絶賛した。
一方、パドック内には“星野一義ミュウジアム”が作られ、ゆかりのマシンやトロフィーなどを展示。終日、観客の列ができていた。そしてフィナーレは全参加者、ニスモスタッフ、そしてスタンドのファンが見守る中、ホームストレートに用意されたマイクの前に立った星野選手。その目から涙があふれる。スタンドからの星野コールもいつしかすすり泣きに変わり、会場が一体となる最高の引退式となった。
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富士から岡山へ。西日本エリアで初開催
『2003y 第7回ニスモフェスティバル』
スカイラインGT-Rの栄冠を多くのファンと共に祝杯
2年間のコース改修により富士スピードウェイの使用が事実上不可能となったNISMO FESTIVAL。中止という選択も上がったが、最終的には西日本での開催を決断。場所はTIサーキット英田が選ばれた。
コース改修の富士に変わりTIサーキット英田初上陸
平成15(2003)年は富士スピードウェイが2年間の大規模改修工事となったため使えなくなった。そこで、以前から要望のあった西日本での開催が決まり、11月30日、岡山県のTIサーキット英田(現・岡山国際サーキット)で第7回は行われた。
R34型スカイラインGT-Rによる最後のJGTCレース参戦の年に、その優秀の美を飾るように4年振りのチャンピオンを獲得したこともあり、“GT-R FOREVER”をテーマにコンテンツが企画された。初めての会場ということで準備は振出しに戻った感があったが、すでに6回開催しているスタッフにとっては、やるべき準備はわかっていた。
初のアトラクションとして催されたのが、“DRIFT X TREM show”。当時、新しいモータースポーツとして世界的に注目を集め、かつスカイラインやシルビアが主力車種だったドリフトを取り込んだ。
TIサーキットのコーナーではもちろんのこと、ストレートでも豪快な“直ドリ”を披露。メインスタンド前では派手なドーナツターンを決めて観客席から大きな喝采を浴びた。
前回から始まったK12型マーチカップカーを使ったGTドライバーによる真剣勝負も観客を大いに沸かせたコンテンツだった。もうひとつの真剣勝負、チューナーズバトルは、昨年の雨天によりパレードランとなったうっ憤を晴らした。西の有力チューナーが初参戦し、サイドバイサイドの接近戦でファンを魅了した。
初の西日本開催で3万8000人が来場。このイベントが全国のファンに浸透していることを感じさせた。
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NISMO創立20周年を岡山で祝う!
『2004y 第8回ニスモフェスティバル』
‘70年代の最強プロトタイプカーR382が完全復活
2年目のTIサーキット英田には’03年を上回る4万6000人(歴代2番目)が来場。スタンドを埋め尽くした。NISMO創立20周年を迎えた’04年はR382とR31リーボックの2台を再生。普段見ることができない饗宴に大満足。
平成15(2003)年に引き続き、TIサーキット英田で開催となった第8回のNISMOフェスティバル。この年はニスモ創立20周年、そしてスーパーGTでは新世代のZ33型フェアレディZがデビューし、前年に引き続きチャンピオンを獲得。ニスモチームとしては2度目の2連覇を達成。その節目を勝利で祝った。
コース上では9時15分から人気の“カテゴリー混走模擬レース”がスタート。そして“GT-R&シルビアチューナーズバトル”、“MARCH CUPエキビションレース”、“DRIFT X TREM show”と息つく間もないコンテンツの連続で、あっという間に午前の部が終了した。
この年はプロトタイプカーのR382とグループAのリーボックスカイライン(R31型)が復活した。R382は昭和44(’69)年の日本グランプリで優勝した6ℓV12の大排気量エンジンを搭載した純レーシングマシン。60年代末に600ps以上のパワーを絞り出していたことに来場者は度肝を抜かれていた。
当日ステアリングを握ったのは名手、北野元氏。長谷見昌弘氏、星野一義氏といった大御所が懐かしそうに談笑している姿が印象的だった。
R31は平成元(’89)年のグループAのチャンピオンカーであり、日産車で初めてシリーズを制覇した記念すべきマシン。長谷見氏のドライブでRB26とは異なるハイチューンドなエンジンサウンドを奏でていた。来場者数は前年を上回る4万6000人を記録。開催する場所に関わらず、日産/ニスモブランドの人気の高さを強く感じた。
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往年のプロトタイプレーシングカーが競演
『2005y 第9回ニスモフェスティバル』
レーシングカーを間近で見られるコンテンツが充実
全面刷新された富士スピードウェイに戻ってきた第9回は、サブタイトルもズバリ“RETURNS”。コースはもちろんだが、パドックやピット、グランドスタンド裏のスペースも大幅に改修され、ニスモスタッフの準備作業は再びゼロリセットされたような年となった。
3年振りの富士開催は寒波それに負けない熱気が包む
従来はパドック側がメインのイベント会場で、そこにステージが設けられた。一方、スタンド裏は限定グッズなどのショップエリアで、来場者の移動距離が長く、見たいイベントを見逃す可能性が高かった。そこで、この年から改修によって設備が充実したスタンド裏(イベント広場)をメイン会場に変更。
これにより来場者はコースイベントはグランドスタンドから見られ、買い物に夢中になっていても気がついたらすぐ移動できるようになった。
この年は、コースイベントに出走するマシンはスタンド裏に設けられた舞台に1台ずつ上り、WRC(世界ワールドラリー選手権)のようなセレモニアスタート方式でコースに向かう企画も行った。スタンド裏に居ながらレーシングカーを間近で眺められ、コース外を走る姿を見られるなど、新しい試みも魅力の一つであった。
この年は世界速度記録に挑戦したR380-Ⅱと“怪鳥”の異名とった可変ウイングを持つR381が動態保存に仲間入り。そして、当時のライバルだったトヨタ7も登場。これにR382も加わり、’60年〜’70年代プロトタイプレーシングカーの競演が注目のイベントだった。サプライズとして’06年仕様のスーパーGTマシンもお披露目されたが、終盤は雪の洗礼を受けた年だった。
[リポート:GT-Rマガジン編集部]