日産/NISMOを身近に感じる感謝祭としてスタートした「ニスモフェスティバル」その20年の歴史を振り返る
自動車メーカー系が主催するモータースポーツファン感謝イベントとして最も古い歴史を持ち、熱いファンが大挙する「NISMO FESTIVAL」が2017年で記念すべき20回目を迎えた。
今回はその歴史を振り返るとともに、この熱きイベントの裏舞台をクローズアップ。そのシリーズ4「2011y(第15回)~2016y(第19回)編」をお伝えしよう。
次世代のEVレーシングカーにどよめきが起こる
『2011y 第15回ニスモフェスティバル』
第15回のテーマは、“NISSAN RACING DNA”を継承。12月4日、柿元邦彦ニスモ総監督(当時)の「今年は最高の報告ができることになりました」という第一声からイベントは始まった。
歴史を彩った新旧マシンが時代を越えて一同に会す!
この年スーパーGT500クラスでは、SロードモーラGT-Rがチャンピオンを、海外でもFIA GT1世界選手権シリーズで、ミハエル・クルム/ルーカス・ルアーがGT1クラスでドライバーズタイトルを獲得。柿元総監督はこの国内外で好成績を収めた喜びを、応援していただいたファンと分ち合うため、何よりも先に報告したのだ。
‘11年は、過去から未来へ続く“日産レース魂”を全体で表現したという印象だった。DATSUNやR381といった往年の名車から、この年に世界選手権タイトルを獲得したFIA GT1マシンの凱旋ラン。さらには世界初のEVレーシングカーであるNISSAN LEAF NISMO RCが登場。未来のモータースポーツのカタチを予感させた。
車両展示コーナーも充実。3台のR380シリーズを始め、日産の歴史を彩ってきた歴代レーシングカーが多数展示。また、ダットサン富士号をはじめ、サファリラリーで4連覇を達成したPA10型バイオレットGT、ダットサン240RSなどの往年のラリーカーも展示。さらにスカイラインは初代プリンススカイラインから現行のV36型(当時)までの生産車がズラリと並んだ。丸ごと日産の歴史が感じられるコンテンツが揃い、内容盛りだくさんで時間が足りないほどだった。
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R35最速の市販車&最新のレースカーのが競演
『2013y 第16回ニスモフェスティバル』
平成22(‘14)年は本社移転のため初めてイベントが休止となった『NISMO FESTIVAL』。2年振りの開催となった’13年はレーシングカーの速さを全面に打ち出す催しが多数。現役マシンの魅力を感じた。
初の休止後の復活開催に3万2000人が大声援
「ニスモ」の本社移転のため、平成24(2012)年は初めて開催を取り止めた『ニスモフェスティバル』。創業以来、本社を構えていた東京都品川区から、神奈川県横浜市の大黒町に移転した。
これによって本社機能は充実し、そのショールームも素晴らしいものに生まれ変わった。
2年振りの開催された平成25(’13)年はついにピットビルの3階も会場として使用。イベント規模はさらに拡大。1日ですべてのコンテンツを楽しむことは難しくなった。
テーマの“NISSAN RACING DNA”は‘10年の第14回から続いているが、『ニスモフェスティバル』を表現する上でこれ以上ないのではないだろうか。この年は日産自動車創立80周年の節目で、コース上では各時代を彩った往年のヒストリックマシンによるデモランが行なわれた。
メインイベントはこの年から始まった“NISMO GP 2013”。これはスーパーGT、スーパー耐久に参戦する現役レースカーによる頂上対決。スーパーGT500クラスのマシンのみタイヤ交換とドライバー交代が義務となるハンディレース。トップドライバーたちが技術とプライドにかけた真剣バトルはシーズン中以上に熱く、会場を盛り上げた。
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NISMOロードカーの登場で楽しみ方が増えた2014年
『2014y 第17回ニスモフェスティバル』
昭和59(1984)年9月に東京品川区に誕生した「ニスモ」が、平成26(’14)年に創立30周年を迎える。第17回はその創立を記念した催しが目白押しとなった。
ル・マンのレースを闘ったマシンとエンジンが大集結
’14年のレースシーンも「ニスモ」、そしてファンにとってもうれしいシーズンとなった。スーパーGT500クラスでは『モチュール・オーテックGT-R』がシーズンを制した。またスーパー耐久でも『GT NET ADVAN NISSAN GT-R』がシリーズ優勝。ニスモワークスがタイトルを手中に収めたのは6年振り。S耐とのダブルタイトル奪取は、じつに11年ぶりのこと。それだけに『ニスモフェスティバル』も気合が入っていた。
歴代ニスモコンプリートカー&NISMOロードカーシリーズ100台によるパレードランからイベントがスタート。参加者に話を聞くと、大観衆を前に富士を駆け抜けると病みつきになるらしい。
ピット内、ピットビル3階にはル・マン24時間レースに参戦した歴代マシンとエンジンがずらりと展示。ル・マン挑戦の歴史を強く感じたまた、当日は「ニスモ」の歴代3名社長が参加し、それぞれの時代の興味深い思い出話を聞かせてくれ、前年に亡くなられた難波靖治初代社長の遺影も掲げられた。
難波社長の掲げた”強いニスモ、勝つニスモ”のDNAは今も「ニスモ」に流れている。そしてフィナーレでは、スーパーGTチャンプを奪還した『モチュール・オーテックGT-R』が、車両のゼッケンをチャンピオンナンバーの1番に変えるゼッケン剝がしを6年振りに実施。イベントに華を添えた。
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海外で若いドライバーとR35型のGT3車両が活躍
『2015y 第18回ニスモフェスティバル』
GT500/GT300だけでなく、海外レースも制覇。ツーリングカーはGT–Rのための1年となった平成28(’15)年。『NISMO FESTIVAL』に来場するファンは誰もが笑顔溢れ、ドライバー/スタッフは応援と声援に感謝した。
R35が国内外レースで躍動3つのカテゴリーを制覇
まさにGT-Rの年となった平成27(2015)年。GT-Rの活躍で国内外のレースカテゴリーでいくつものタイトルを獲得した。スーパーGTではGT500とGT300でダブルタイトルを達成。
海の向こうでもFIA GT3車両で争われるブランパン耐久シリーズのプロクラスで初のチャンピオンに輝き、さらにオーストラリアではバサースト12時間耐久レースで23年ぶりに総合優勝を果たすなど、GT-R旋風が吹き荒れた。
まさに歓喜のシーズンだっただけに、第18回を迎えた『ニスモフェスティバル』はイベント開始前から異様なほど盛り上がった。注目は、海外で活躍したFIA GT3仕様のNISSAN GT-Rの3台。国内ファンにとっては、初めて間近で見るGT3仕様のマシンだった。
そしてルーカス・オルドネス、ヤン・マーデンボロー、ウォルフガン・ライプ、アレックス・バンコムなど、海外で活躍するGT-Rドライバーも集結。これまでになくグローバル色を強めたイベントとなったと言えるだろう。
もちろん、日産名車再生クラブの手により甦った『NISMO LM GT-R』の22号車を筆頭に、往年の名車も数多く集結。新たな試みである“Nissan Motorsports Heritage Run“では、オーロラビジョンに当時の雄姿が映し出され、現実と過去をシンクロさせる演出に多くのモータースポーツファンが酔いしれた。
また、現役ドライバーだけでなく、レジェンドドライバーのサイン会を実施。
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結成20周年を迎えた日産応援団に感謝状を贈呈
『2016y 第19回ニスモフェスティバル』
19回目を迎えた『NISMO FESTIVAL』は日産/NISMOが応援するファンを大切にしていると感じた1日だった。日産応援団の特別展示の開催やフィナーレの感謝セレモニーなど、応援団でなくても目頭が熱くなった。
「飾るのではなく走らせる」最大の魅力はそこにある
第19回の開催は12月11日。この年は富士スピードウェイ50周年の記念イヤーとなることから、富士にゆかりのある日産の歴代レーシングカーを中心に構成されていた。
S54型スカイライン2000GTからハコスカGT-R、R380といった’60年代から’70年代にかけて日本のモータースポーツシーンを駆け抜けたマシン(’16年のレストアはチェリーFⅡ)。
そして’80年代のスーパーシルエット。さらに’90年代のグループC、グループA。現代に続くGTマシンたちが揃えられた。
往年のレーシングカーは毎年「ニスモ」で整備されているため、現在もレーシングスピードで走るファンの前に見せられる。それだけ、日産/ニスモがモータースポーツの伝統、DNAを大切にしていることがわかる。
一方で、毎年「日産/ニスモ」に熱き声援を送り続ける”日産応援団”が設立20周年を迎えたことを記念した特別展示がピットビル3階で開催。その原点はGT-Rによるル・マン24時間レースチャレンジ時代まで遡る。それが『ニスモフェスティバル』を開催する原点となった。
また、フィナーレではサプライズで「日産/ニスモ」を代表して片桐隆夫社長から日産応援団の黒澤剛団長に長年のサポートに対して感謝状が贈呈された。
ファンを一緒にモータースポーツを盛り上げる気持ちは20年経過した今も変わらない。こうした結ばれた関係は他のメーカーのファンではあり得ないこと。現場にいた誰もが暖かい気持ちになったはずだ。
このように「日産/ニスモ」とファンとの一体感を味わえるのがこのイベントの大きな魅力である。
[リポート:GT-Rマガジン編集部]