3年連続WRCマニュファクチャラーズチャンピオン車のDNAが注入された大人のセダン
プレミアムカーのイメージが定着してすでに久しいSTIコンプリートカー。戦闘力を重視する方針からプレミアム路線に切り変わったのは2002年10月発売のS401からと意外に古い。販売面では苦戦したのが信じられない、傑作車のひとつだ。
このクルマの「神ポイント」
●「ミスターレガシィ」桂田勝さんの魂注入
●シリアルナンバー付き手組み調整エンジン
●1万rpmまで刻まれた意味深なタコメーター
「400人にわかってもらえれば、それでいい」とのことだったが、理解してくれる人は少なかった。筆者は経済力がなさすぎて断念。
ブランド力向上のために入魂の限りを尽くした名車
時に誤解されることがあるが、「STI」は「スバル」のレースやラリー活動だけを担う戦闘集団ではない。モータースポーツ活動を総括しながら、スバル車のブランドイメージを高めるための活動やクルマづくりを行なうことを目的とする組織である。
「STI」のコンプリートカーも初期世代は競技専用車やワークスレプリカ的な意味を持つモデルだったが、3代目スバル『レガシィ』の最終型で満を持して「プレミアム性」を訴えるコンセプトを採用。『レガシィ』初のSシリーズ『S401』が発売された。当時のSTI社長である桂田勝さんは「走ることへの情熱を抱き続ける大人の感性に響く、これまでにない質の高い走りの提案です」と熱く語っていた。
桂田さんは富士重工業時代に3代目『レガシィ』の開発責任者を務めたときにも「レガシィを本物のブランドに育てる」と意気込んでいたなど、ブランド向上への熱意は凄まじく、『S401』にはその執念が注がれた。
手組みバランス取りエンジンをはじめ、専用のバネ&ダンパー装備やリヤサスリンクのピロボール化はもちろん、ボディはクロスメンバー補剛材追加などで強化。さらにはステアリングのギヤレシオ変更&高剛性化、市販品にはない専用サイズのピレリPゼロ装着、当時のレガシィには設定のない6速MT(TY85)などを装備して税抜き435万円。
今なら瞬時に完売必至の内容ながら、当時のスバルファンはプレミアム路線に抵抗があったのか、販売は伸び悩むというまさかの結果に。はからずも、22B以上に希少性の高い幻の名車となってしまった。
車載工具は当時のWRCの現場でも使われたスナップオン製を搭載。地味ながら豪華で、ファンにはたまらない演出のひとつだ。
「STI偉人列伝②」元開発エンジニア・STI社長 桂田勝さん
スバルのブランド力向上に執念を燃やした熱血漢
百瀬晋六さんから薫陶を受けた最後の世代のエンジニアとして活躍。とりわけレガシィとの関わりは深く、3代目では今でいうPGMとして開発を取りまとめ、極悪燃費のレッテルを剥がすのにも執念を燃やした。ラリーへの造詣も深く、STI社長就任後はWRC現場でも熱血漢ぶりを発揮したカリスマ。2013年に70歳で逝去された。
[リポート:マリオ高野]
[編集:スバルマガジン編集部]