オイルショックがなかったならば
「ケンメリR」はより進化を遂げていた
スーパーグランツーリスモの性能とスタイリッシュなフォルムを融合させた究極のロードゴーイングカー、日産が誇るハードトップ2000GT-R(KPGC110型)。通称、ケンメリGT-Rだ。
時代に翻弄され、エンジン性能を磨き上げることも叶わず短命に終わったが、開発陣は最後まで進化の手を緩めなかった。今回は、前回の「ハコスカ・2ドアハードトップ版のGT-R(KPGC10型)」に続き、幻のケンメリGT-Rの歴史や進化について迫ってみることにした。
GT-Rは乗りやすさも考えられていたが、自分の意志どおり動かすためには「対話=腕」が必要で、真の性能を引き出す意味では乗り手を選んだ。
3代目のハコスカはGT-Rを筆頭に骨太なクルマだったが、4代目となった「ケンメリ」は日産自動車との合併後に生まれたクルマであり、販売店のプリンス自販からも「生き残りをかけて、スカイラインを売れるクルマにしなくてはならない」という強い意思表示もあった。つまり、ケンメリに要求されたのは高性能化ではなく”大衆受け”だったのである。
また、ハコスカのように2タイプのボディを作ることは許されず、さらに4代目の開発時には排ガス規制が施行。そんな揺れ動く時代の中でケンメリGT-R(KPGC110型) は、基準車から4カ月遅れとなる1973年1月に発売された。
ハコスカの2ドアに比べて、全長130mm/全幅30mm/ホイールベース40mm、それぞれボディサイズを拡大。ワークスマシンを彷彿させるオーバーフェンダー、トランクリッドのダックテールスポイラー、ブラックアウトされたフロントグリルといった専用アイテムが装着され、ハコスカ以上に基準車と差別化されたスパルタンなフォルムが与えられた。
下写真のように、ハコスカのノッチバックから’70年代の流行であったアメリカンテイストを取り入れたファストバッククーぺスタイル。グリルもどこか、ダッチやマスタングに似ている。ケンメリから伝統の丸4灯テールが採用された。
つぎに、エンジンはハコスカと同じ”S20型”でスペックも共通。生産台数が197台ということで、「ハコスカ時代に生産した部品の余りで組み上げた台数だけリリースした」と語られることがあるが、実際はケンメリ用として新たに生産されている。エンジン本体こそ改良はないが、補器類はケンメリ用にアレンジ。サスペンションも型式は同じだが、ハンドリングに影響する部分は徹底的に見直され、ハコスカよりも運動性能を高めている。ストリートにおいては性能でハコスカに負けずとも劣ることはなく、確実に世代の進化を感じることが可能だ。
開発当初はハコスカの後を継いで、レース参戦のためにあらゆる可能性が模索されたが、最終的には与えられたパッケージングでは苦戦すること、モータースポーツの車両開発よりも排ガス規制対策を重要視。『ケンメリR』はレース参戦ベースではなく、スーパーグランツーリスモとしてデビューしたのである。
しかし、S20型エンジンの排ガス規制がクリアできないこともあり、わずか4カ月で生産中止。オイルショックさえなければ、名機はさらに高性能化され、次世代ユニット搭載の可能性もあったというケンメリGT-R。
いろいろな意味で時代に翻弄されたことが、”悲運のR”と呼ばれる所以だ。
シャシー見直しで走りが向上
排ガス規制のあおりを受け、稀少車種に開発費用を投じることが叶わず、スペック、中身ともにハコスカからほぼ変更がなかったS20型エンジン。
ただし、中速重視のセットアップやブレーキにマスターバックが装着されるなど扱いやすさは向上。シャシーや足まわりは大きく見直され、コーナーリング性能を高めた。サンプル車両はバッテリーなど一部変更されている。
ヘッドカバーは結晶塗装。ハコスカの初期モデルはブラック(下写真・左)だが、ケンメリではグレーに(下写真・右)。結晶の凹凸も大きくなっている。
また、シリンダーのブロックは、ハコスカ中期からオイルパンとの接合部にリブを設けて剛性アップが図られた。
エキマニも時代時代で繰り返し変更
ハコスカはレースに勝つために多くの部分に対策が施されるが、エキゾーストマニホールドもそのひとつ。
初期モデルは集合部に補強プレートと釣りフックが装着。中期になると素材変更で不要となるが、最終型には再びプレートが取り付けられたものもある。
ハコスカは基本的に6本のパイプが最後に集合される”6-1″(下写真・上)だが、ケンメリのエキマニはZ432と同様、途中で一度集合される”6-2-1″(下写真・下)を採用。重量増を考慮した中速重視であることがわかる。