業界の健全化にも尽力し続ける、
創業87年の歴史とこだわりの工程を追う
メイド・イン・ニッポンのモノ作りに迫る好評企画第9弾は、マフラー文化の発展に多大な貢献を続ける「FUJITSUBO(フジツボ)」。いまさら聞けない過去、そして現在。国内有数の規模を誇る裾野工場の密着で見えた、熱き想いをリポートしたい。
日本屈指の規模を誇るマフラー専業ブランドである「フジツボ」は、ブランドの名前でモノが売れる、名実ともにカスタマイズ界を代表する存在だ。マフラーの製品向上に努めるだけでなく、業界の認知度を高め、健全化を図るための活動を率先して行なうなど、「フジツボ」を知らずしてマフラーを語ることはできない。
創業は1931年。創業者の初代社長がオートレーサーだったことから、当初は2輪メーカーとしてスタート。エンジンも自社で製造しショップを構えた時期もあった。精力的な活動を続けるなか、高い手腕を見込んでの製造依頼が増えるようになり、1960年代から4輪部品の製造を開始。以降、少しずつ業務の比重を4輪用マフラーへ移行していった。
現在のような専業メーカーとしての地位を確立した1970年頃以降、半世紀に渡り業界の前線を走り続けてきた、というのが大雑把な”フジツボ史”だ。
大躍進を遂げたのは昭和後半。当時のクルマは純正も過渡期だったため、マフラーを変えただけでパワーが大きくアップすることも珍しくなかった。すでに技術力を有していた「フジツボ」のマフラーは瞬く間に市場に受け入れられ、ブランドの知名度は急上昇。”マフラー交換”という文化を、市販車に根付かせる原動力となった。そんな知名度拡大に伴い、開発対象車を拡大。1980年代からは欧州ほか、海外展開も積極的に行なうなど、更なる躍進を果たすことになる。
しかし、確実に高まる業界の発展を喜ぶ一方で、月日を追うごとに問題視されるようになったのが騒音。1989年に発足した「日本自動車スポーツマフラー協会(通称JASMA/ジャスマ)」は、当時の社会問題となった暴走族増加によるイメージ悪化への対策。そして、業界全体の健全化を図るための自主機関として、「フジツボ」が音頭をとって同業他社の賛同を得て設立された。
法規よりも厳しい基準で規制をかけるなど、安心&安全、合法な製品作り、流通の発展に大きな役割を果たしてきたのである。
「フジツボ」のより良い製品作りは徹底しており、製造、品質管理、物流、保証面に万全の体制を敷くだけでなく、今回取材を行なった”静岡県裾野工場内”にテストコースも完備。2010年4月以降のスポーツマフラーにおける”新規制”にあわせた試験も行えるなど、業界のベンチマークに相応しい活躍を続けている。
ラインアップも着実に進化
「フジツボ」が誇る現在のラインアップといえば、人気シリーズ「レガリス」と、新規制対応の「オーソライズ」の2枚看板。’90年代の大口径ブームの火付け役となった『レガリスR』を皮切りに、近年ではBGテールと呼ぶ虹色加工をヒットさせるなど、マインドをくすぐる展開で多くのユーザーを魅了している。
技術力の高さは指折りで、OEMの依頼も数多し。一部純正も手掛ける。
フジツボの高い技術力は、内面にも遺憾なく発揮される。例えば、上の画像にある集合管の接点部の処理。抵抗少なく、よりスムーズな排気を実現させるための面処理は、高度な溶接技術あってこそ。
(中央がフジツボ製、左右が一般的な例)
工場敷地内で行なう加速騒音試験
工場敷地内に存在する、マフラーの加速騒音を図るための走行騒音試験路は2004年に完成。
ロードノイズを一定とさせる、全長20mのアスファルトのコンディションを一定にした特殊路であり、2010年4月1日以降の生産車で義務付けされる”加速騒音試験”を、マフラーの性能を確認する公的機関「JQR」職員の立ち会いのもとで行なう。
「加速騒音試験」は、時速50kmで進入し全開で駆け抜ける内の、10m地点での騒音を図るというもの。ISO認定の特殊路である以外にも、ドライ路面で風速5m以下と、様々な条件下のもとで試験される。
日本を代表するスポーツカーの純正品も
過去にはスバル・インプレッサSTIバージョン(GC8)、現行車では日産GT-Rの純正チタンマフラーと、自動車メーカーの純正品の生産も行なう。現在進行中のGT-Rでは、専用の製作ラインを構え、専任スタッフを常勤させるなど万全の生産体制を敷く。
フジツボ、そしてマフラー業界の発展をもっとも長く見続けてきた、2代目代表取締役である勇雄氏。業界団体であるJASMAの会長も兼務するなど、その活躍はいまなお精力的である
いよいよ次ページではマフラーの製作現場へ