コンパクトからアッパーミドルへ。
拡大化したロータリー・エンジン搭載車
ファミリア・ロータリークーペに始まりサバンナ、カペラと展開。マツダのロータリー・エンジン拡大プロジェクトは70年代中盤からは、より上級レンジへとシフトしていった。
それがルーチェとコスモの2系統。もっともこの2シリーズは途中で一度合流し、また別れるという数奇な運命を辿ることになるのだが…。
【マツダ・ルーチェ】
4ドアセダンだけだった初代モデルに2ドアハードトップのロータリークーペを追加することで、ロータリー・ラインナップの一角を占めるようになったアッパーミディアムクラスのルーチェ。
その初代モデルに関しては4ドアセダンとロータリークーペは、メカニズム的には全くの別物だったが1972年に登場した2代目はプラットフォームを共有した4ドアセダンと2ドアハードトップを用意。双方に573cc×2ローターの12Aエンジン搭載モデルも用意されていた。
ちなみに、2代目が登場した時から商用モデルのバンもラインアップ。こちらにはロータリー・エンジン搭載は設定されていなかったが、後にバンをベースにしたステーションワゴンが登場した際にはロータリー・エンジン搭載車が設定されることになる。
・Mazda RX-4/ルーチェ・ステーションワゴン(1975年式)
マツダのクルマが海外ではかつて、3ケタの数字で呼ばれていたのはよく知られたところ。
例えばデミオは121だったしファミリアは323だった。その一方で、ロータリー・エンジン搭載車はRX+数字で表されていた。スポーツカーのRX-7はその代表例だが、RX-2はカペラ・ロータリー、RX-3はサバンナ・ロータリーといった具合だ。
ここで紹介するルーチェ・ロータリーはRX-4と呼ばれていたモデルで、シリーズとしては2代目だが、駆動レイアウトなどからメカニズム的にはコスモ・スポーツはコスモと別物と考えることもできるから、ルーチェ・ロータリーとしては初代モデルとする説もある。ラインアップとしては4ドアセダンと2ドアハードトップに加えてステーションワゴン(SW)もあり、SWに関しては国内よりも一足早く市販開始。写真の個体は、ドイツのアウグスブルクにあるマツダ・クラシックカー博物館フライで収蔵展示されている1台だ。
2代目ルーチェのモデル末期に、その上級モデルとして1977年に登場したのがルーチェ・レガート。78年に2代目の生産が終了したことを受け正式に3代目となり、マスコットネームのレガートも外されている。
こちらにもロータリー・エンジン搭載車はラインアップあり。パワーユニットに選ばれたのは12Aと、2代目のモデル中期から追加投入されていた13B(654cc×2ローター)だ。
ともに4ドアでドアサッシのないピラードハードトップとセダンをラインアップ。当初は、角型ヘッドライトをグリルの左右に2段重ねにマウントした縦置き角型4灯式ヘッドライト(写真はレシプロエンジン車)など、アグレッシブなエクステリアが注目を集めたが、販売増には繋がらず、後期モデルではコンサバな角型2灯式ヘッドライトに変更。
また排気ガス対策を理由に、12A搭載モデルは途中で姿を消し、79年以降は13B搭載モデルのみとなった。
そして、81年のフルモデルチェンジで4代目へと移行した。
4代目は、引き続き4ドアハードトップと4ドアセダンを用意。ハードトップは“ピラード”ではなくウインドウでBピラーを隠す、通常の4ドアハードトップに変更されている。
しかし最大のポイントはコスモと兄弟車になったこと。1か月遅れでリリースされたロータリー・エンジン搭載モデルは当初、12Aのみがラインナップされていたが、1年後には12Aのロータリーターボが登場。さらに1年後にはスーパーインジェクション仕様の13Bが追加設定されている。
しかし、人気回復の決定打とはなりえずに86年にはフルモデルチェンジを受け5代目に移行。ちなみに兄弟車のコスモはそのまま生産が継続されることになった。
・4代目ルーチェ・サルーンRE(1981年発売)
マツダ・クラシックカー博物館フライで2代目のルーチェ、いやRX-4に出逢ったくらいで、また初代のコスモ・スポーツや最終世代のユーノス・コスモにも各地の博物館で遭遇してきたが、それ以外の世代、3代目~5代目は、博物館で見かけた記憶がない。
そこでマツダの広報写真を使って紹介するのだが、実は3代目の、通称“レガート”は広報サイトにはレシプロ・エンジン搭載モデルしか用意されていなかったほど。写真の4代目は3代目コスモと兄弟車になったエポックなモデル。写真で見る限りルーミーなキャビンは好感が持てるのだが…。
86年にフルモデルチェンジを受けて登場した5代目は、ボディサイズを引き上げて5ナンバーのフルサイズへ。4代目と同様に4ドアセダンと4ドアハードトップと2種のボディで、それぞれロータリー・エンジンとレシプロ・エンジンを選択することができた。
レシプロ・エンジンでもマツダとして初のV6エンジンが導入され、後にV6ターボも投入されたことがトピックとなったが、ロータリー・エンジン搭載モデルに関しても、最上位グレードであるロイヤルクラシックにはRE13Bターボが用意されるなど、マツダにおけるフラッグシップとしての位置づけが強調された。
デザイン的にはここ数代の歴代モデルでアグレッシブとコンサバティブの間を行ったり来たりしていたエクステリアだが、この5代目は4代目以上にコンサバだったが、4ドアセダンではプレスドアが初めて採用されていた。
ただし、トヨタのクラウンや日産のセドリック/グロリアに対抗する意気込みは感じられたが、残念ながらマツダの想いに反して市場ではライバルとして認めてもらえず、販売台数的にも苦戦。91年には後継モデルのセンティア/MS-9に託して自家用モデルの生産を終了し、同時にロータリー・エンジン搭載モデルもラインナップから外れてしまった。
・5代目ルーチェ・ロータリーターボ(1986年発売)
5代目ルーチェもマツダの広報写真で紹介。”広島製ベンツ”と揶揄されたこともある5代目ルーチェだが、先代がコスモと兄弟車だったのに対して、単独のモデルとなったことが大きなエポックに。それと関連があるのか、4代目に比べてコンサバティブなデザインも大きな特徴となった。
写真の4ドアハードトップに加えてプレスドアの4ドアセダンも設定。デザインには好き嫌いがあり、意見が分かれるところだとは分かっているのだが、個人的にはこちらのプレスドアの4ドアセダンの方が好ましいデザインだった、と今でも思っている。
【マツダ・コスモ】
そのルーチェ・ロータリーと一時は兄弟車になったコスモも、ある意味では数奇な運命をたどったロータリー・エンジン搭載車だった。「ロータリー・エンジン搭載車ヒストリー Part.1」でも紹介した通り、1967年に登場した初代モデル=コスモ・スポーツは、マツダ(当時は前身の東洋工業だったが)として初のロータリー・エンジンを搭載した2人乗りのスポーツカーだった。
しばらくのインターバルを経て8年ぶりに登場した2代目は、2ドア5座のラグジュアリースポーツクーペに変身。太いBピラー部分にもサイドウインドウを設けたクリーンなデザインが評判になった。折からの排ガス問題からクルマの公害対策が注目されていたこともあり、コスモAP(アンチ・ポリューション。抗大気汚染の意)を名乗っている。
同時にレシプロ・エンジン搭載モデルもラインアップしていたが、ロータリー・エンジン搭載モデルが12Aに加えて13Bもラインアップしていたのに対してレシプロの方は当初、直4の1800ccのみ。マツダの新たなフラッグシップとして認知されると同時に、イメージ的にはロータリー専用モデルでもあった。
そして排ガス浄化対応からハイパフォーマンスモデルが続々とカタログから消えていく中で、公害対策でアドバンテージを繋いだコスモAPは、大ヒット商品となる。
さらに2年後にはバリエーションモデルとしてコスモLシリーズが登場。こちらのLはランドウトップ(前席のルーフが鉄板で後席部分のルーフのみ幌でオープン可能な屋根の形式)のイニシャルで、オリジナルのAPシリーズがファストバッククーペであるのに対して、こちらはリアウインドウが立ったノッチバック。オペラウインドウを設けたBピラー以降、ルーフも含めてレザーで覆うスタイルは一種独特だった。APシリーズと比較すると、少し高い年齢層に訴求するプレミアムなモデルだったのである。
・Mazda RX-5/コスモAP(1977年式)
カペラ・ロータリーがRX-2、サバンナ・ロータリーがRX-3、そしてルーチェ・ロータリーがRX-4と呼ばれたのに続いて、75年に登場したコスモAPロータリーは、ヨーロッパではRX-5と呼ばれていた。その存在感からか、当時はとても大きなクルマのように映っていたが、全長4545mm×全幅1685mmというサイズは、ファミリアの後継モデルである現行のアクセラ・セダンよりも一回り以上もコンパクトなことが分かる。 太いBピラーにサイドウィンドーを設けたクリーンな2ドアクーペに仕上げたエクステリアは今でも充分に魅力的。写真の個体はドイツのアウグスブルクにあるマツダ・クラシックカー博物館フライで収蔵展示されている1台だ。
・Mazda コスモL(1977年式)
コスモAPの登場から2年後に、派生モデルとして誕生したコスモL。メカニズム的にはAPシリーズと大差なく、最大の違いはエクステリアのデザイン。APが2ドア5座のファストバック・クーペだったのに対して、こちらは2ドア5座のノッチバック・クーペ、って分類があるのかどうか疑わしいところだが、リアウインドウを立て、BピラーとCピラーを融合させ、そこにオペラウィンドーと呼ばれる小窓を配したデザインは、APシリーズよりもさらにプレミアムな、大人のクルマを演出していた。
学生時代の友人が卒業を前に、当時付き合っていた彼女と食事をした際、別れ際に「今度は真っ赤なコスモで迎えに来るから」と言った、と聞かされてLシリーズに対する個人的な評価は一気に上昇。だって地元に帰って就職が決まった友人とは違い、卒業単位を2つほど残して大学に居残りを決めた身にとっては、全てがまるでドラマの世界のように思えたから。
ちなみに、件の友人は地元に帰ったが、その後、学生時代を過ごした町に、彼女を迎えに来たかどうかは確認ができていない。写真の個体は小松市にある日本自動車博物館で収蔵展示される1台。白いボディは見た目にも珍しく新鮮だった。
次に、大ヒットとなった2代目の後を受け、81年に登場した3代目コスモ。先にルーチェの4代目の項で紹介したようにルーチェと兄弟車となった。
まずはレシプロ・エンジン搭載車がリリースされ、ロータリー・エンジン搭載車は2カ月遅れで登場。ルーチェと兄弟車となった4代目コスモだが、エクステリアで4灯式のリトラクタブル・ヘッドライトを採用したことがルーチェとの大きな違いとなっていた。
ただし、2年後のマイナーチェンジで4ドアセダンは通常の固定式ヘッドライトにコンバート。フロントビューはコンサバなルックスに戻されている。また、ハードトップ系はリトラクタブル式を継承していたが、その1年後のマイナーチェンジではGTグレードを残して固定式となるなど、迷いがあったことを露呈した。
そして、86年にルーチェがモデルチェンジしたのを機にセダン系が生産終了。90年にはユーノス・コスモが登場し、ハードトップ系も姿を消している。
90年にリリースされた5代目コスモは、当時のマツダが進めていた多チャンネル化の影響からマツダ・ブランドではなくユーノス・ブランドで登場。
ラインアップは2ドアクーペのみで、初代のコスモ・スポーツ以来となるロータリー専用モデルとなり、シーケンシャル・ツインターボを装着した13B(654cc×2ローター)に加えて量産車として世界初となる3ローターの20B(654cc×3ローター)を搭載。こちらにもシーケンシャル・ツインターボが装着されるなど、大きなトピックとなった。
軽く300馬力を超える設計で進められていた20Bは、当時として国内で公認される最高出力値である280馬力に抑えられていたが、そのハイパフォーマンスぶりは明らか。一方で燃費に関しても厳しいデータがあり、販売面では振るわなかった。
・ユーノスコスモ(1992年式)
ヨーロッパでは、ロータリー・エンジンを搭載したモデルはRXのアルファベット2文字に数字をつけてあらわされるのが倣いだったが、RX-7やRX-8のように、それが日本国内でも正式名称となったモデルを別にすれば、80年代以降は代わってきたのだろう。
92年に登場したユーノス・コスモの展示プレートには『Mazda Eunos Cosmo』とだけあった。それが時代のトレンドだったか、今となってはもう記憶にも定かではないが、マッシブでふくよかなラインを持った2ドアクーペに仕上がっている。
コスモ・スポーツやコスモAPとは全く違ったテイストだが、それでもクリーンなラインは共通。マツダの本社に併設されたマツダ・ミュージアムではシルバーの個体が収蔵展示されていたが、ドイツのアウグスブルクにあるマツダ・クラシックカー博物館フライに収蔵展示されていたのは黒いボディに身を包んだ1台。クルマの性格を考えれば、これも充分アリだと思う。