派生モデルの誕生でラインアップも充実、
「最善か無か」の哲学で生まれた歴史と進化
1886年以来、世界最古の自動車メーカーとして数々の名車を輩出してきたメルセデス・ベンツの名を飛躍的に高めた量産モデルが1985年にデビューしたW124シリーズだ。ミディアムクラスとして高い安全性と走行性能を与えられ、オーバークオリティと評された名車の歴史を振り返る。
現在でもなお、メルセデス・ベンツ・ファンの目を魅了してやまないモデルのひとつに初代Eクラスともいえる「W124シリーズ」がある。デビュー時には、Eクラスという名称はなく、“ミディアムクラス”と呼称されていた。
メルセデス・ベンツが、常に企業哲学として掲げてきたのが「最善か無か」という言葉。現在でもブランドに継承されているのだが、W124時代を検証すると、この哲学をそのまま実現したモデルといえることが瞬時に理解できる。当時のメルセデス・ベンツは、構成パーツの内製率を先代モデルのW123から飛躍的に高めており、それによって品質もまた格段の向上を果たしたのだ。
【前期型】妥協なきフィロソフィーが生んだ
ミディアムクラスのベンチマーク
そんなW124が正式発表されたのは1984年12月。ワールドプレミアはスペインで行われたが、この時に驚かされたのは端正なフォルムが当時の最高水準となるエアロダイナミクスを持ち合わせていたこと。
デザインはすでに市場へと投じられていたW201、すなわち”190シリーズ”のデザインとも強い類似性を持つもので、デビュー当時こそ賛否両論があったものの、Cd値0.29を達成した優秀なエアロダイナミクスやセダンとしての機能性は、まさに非の打ちどころはなかったのである。
インテリアも、W201と共通のコンセプト。ただし、センターコンソールにウッドパネルを採用するなど差別化は図られており、キャビンのスペースもミディアムの名に恥じない余裕を感じさせた。メーターパネルや大径ステアリングは、いかにもメルセデス・ベンツといった印象。前で触れた高品質を直接感じることができるのが、このインテリアといえるだろう。
日本でのW124の正規輸入によるセールスは、ヨーロッパから約1年遅れて1986年にスタート。
日本仕様にラインアップされたのは、2.3リッター直列4気筒SOHCエンジンを搭載する「230E」、3リッター直列6気筒SOHCの「300E」、3リッター直列6気筒SOHCディーゼルターボの「300Dターボ」の3モデル。とりわけ185psの最高出力を誇った300Eは魅力的なモデルで、サーキュレーティングボール式のステアリングといった伝統のメカニズムを継承しつつ、マルチリンク化した新デザインのリアサスペンションを採用するなど、高級感とともにスポーティな印象を走りからは強く感じることができた。
1985年の秋には派生形となるワゴン、”S124シリーズ”を追加設定。まず「230TE」が1986年に、それに続いて「300TE」が正規輸入された。エクステリアは、そのシルエットからも使い勝手の良さが想像できるフィニッシュ。BピラーまではW124とほとんど変わらない造形で、ワゴンとしての独自性は主に後方のパートで主張された。広大なカーゴスペースに折り畳み式のサードシートを備え、乗車定員を最大7名としていることも、見逃せないポイントだ。
【前期型】W123の後継車として、1985年にデビュー。まずはセダン、その後ステーションワゴン(S124)、クーペ(C124)と登場させ、リムジン(専用ボディで開発)までラインアップした。空力を重視した重厚感のあるボディデザインに加えセンターコンソールにウッドを配したインテリアは、シンプルながらも実に機能的で高い質感が魅力。セダンの発売から8ヵ月後、ワゴンのTEモデルの発表と同時にドライビングダイナミクスコンセプトのもと開発されたASD(オートマチック・コントロールド・ロッキング・ディファレンシャル)やASR(アンチ・スリップ・コントロール)などの最新技術が公開され、メルセデスの安全性能の先進性はこの時代から追求されていた。
【中期型】洗練のサッコ・デザイン&スーパーセダン”500E”登場
そして、1987年には165psを発生する2.6リッター直列6気筒SOHCエンジン搭載の「260E」を追加。それまでの300Eと230Eとの間にあったギャップを埋めることにも成功。最初のマイナーチェンジが行われたのは1990年のことだった。
最も大きなトピックスは、エクステリアをより魅力的なアピアランスに、同時に空力特性を向上させるために1987年に誕生していた派生モデル、クーペの”C124″で採用されていたボディサイドのプロテクトパネル、そのデザイナーの名に由来するサッコプレートを装備したこと。
またこの年には電子制御方式のパートタイム4WDシステム、4MATICを搭載したモデルが300Eと300TEに追加された他、クーペの「300CE」は新たに搭載エンジンをDOHC24バルブ化して「300CE-24」へと進化。同エンジンは、セダンにも搭載された。
1990年代を迎えると、さらにラインアップを魅力的なものにしていく。
その象徴的な存在といえるのが1990年秋に発表された「500E」。現代ではコンパクトなサイズと感じられるW124のボディに、当時の500SLから譲り受けた5リッターV型8気筒DOHCエンジンを330psの最高出力で搭載。このモンスターの生産がポルシェに委託されたことも大きな話題となった。
搭載エンジンの高性能化は、他のファミリーにも波及。1992年にディーゼルや4MATICなど一部モデルを除いて、搭載エンジンのDOHC4バルブ化を実施。4.2リッターV型8気筒で275psを発揮した「400E」を始め、「320E」、「280E」、「220E」という新たなラインアップが誕生する。
この時にエアバッグが運転席側で標準、助手席側ではオプション設定され(500Eはいずれも標準)、安全性能もさらに高められた。
【中期型】
1989年のフランクフルトショーで初披露。いわゆるサッコプレートの中期型は、同色ミラーの採用などより洗練されたエクステリアが与えられた。インパネデザインはほぼキャリーオーバーだが前後シートの意匠を変更するなど快適性は高められた。ヒーテッドドアミラー(運転席側)やABSの標準搭載(全車)などトピックは多いが、やはり主役は前述の500Eだ。ポルシェのツッフェンハウゼン工場で生産されたモデルでSL譲りの330㎰を発する5リッターV8(M119E50型)に加えナローボディよりも55㎜もワイド化されたボディが特徴。これはハイパワーを受け止めるワイドトレッドタイヤ(225/45R16)を収めるための方策だった。なお、400Eには4.2リッターV8が積まれた。
【後期型】Sクラス並みの存在感を発揮、最後まで貫いた高品質
W124系で最後に登場したボディバリエーションは、1992年に発表されたカブリオレの「A124」だ。
ベースはクーペのC124だが、オープン化に伴う剛性低下などに対応して約1000点のパーツを新設計。キャビン後方には転倒時に瞬間的にポップアップするロールオーバーバーを装備するなど、こちらも先進的な安全システムが話題を呼んだ。
そして1993年は、最後のマイナーチェンジが実施された年。それまでミディアムクラスとされていたシリーズ名は「Eクラス」と変更し、モデル名も”E”の文字を最初に掲げるものになる。
フロントグリルはよりスムーズなデザインでボンネットに組み合わされ、前後バンパーのプロテクターもボディ同色に、ウインカーレンズは前後とも白色のレンズを持つものとされるなどニューモデルとしての、そしてW124ファミリーの最終進化型としての特徴は、十分にアピールされた。
助手席エアバッグやマイクロフィルター付きのエアコンなど、装備のレベルもアップされている。
1995年にセールスが終了するまで(ワゴンは1996年まで)の間に、W124ファミリーは日本市場で約6万3000台がデリバリー。現在ではクラッシックとしての価値も非常に高く評価される存在となった。
「最善か無か」という企業哲学を究めたともいえるこのシリーズには、まさに時代を超越した魅力が備わっているのだ。
【後期型】
W140型Sクラスを彷彿(特にラジエーターグリル)とさせるフロントマスクとなり、ヘッドライトやウインカーレンズ(クリアレンズ)、リアコンビライトがリデザイン。ロングレンジモデルとしては常套手段だが前後パンパーはボディ同色となり、前期型と見比べるとかなりスタイリッシュで存在感のある外観となった。
インパネについては、トリムマテリアルや生産クオリティの向上によってオーバークオリティ感はより一層増した印象だったが、新機能の追加でスイッチ類がセンターパネルに集約された程度で大きな意匠変更は最後までなかった。
W124ファミリーは、最終的に約11年間で221万3167台(他にリムジンは6398台)が生産。世界で大ヒットとなった。