ドリフトの立役者となった一人の男
53歳、最後の1日に密着レポート
2018年11月3日、この日のD1 GP会場は雰囲気が違った。
翌日にIDC(インターコンチネンタルドリフティングカップ)が控えており、世界中のトップドリフターが集結。国際色豊かな関係者が多かったせいもあるが、それ以上に「のむけんのラストランを見届けたい!」というファンの熱気が、お台場を覆っていたせいなのだろう。
振り返れば「今シーズン限りでD1を引退するばい!」と、野村 謙選手が宣言して始まった、2018年シーズン。初戦から、引退を惜しむファンがどっと会場へ駆けつけた。
野村選手が登場するたびに大きくなる歓声、「なんとか予選を通過してくれ」という、祈りにも近いような会場を包む空気は、最年長53歳の現役D1ドライバーの背中を後押しした。
実際に、いきなり大阪での開幕戦では単走予選を15位で通過。久しぶりの追走決勝進出を果たし、結果的にはベスト8まで残った。その後はなかなか予選を通過できなかったが、真夏の筑波では10位予選通過。この時のインタビューでは「いつも通りやるだけ」とマイペースだった野村選手ではあるが、灼熱の中、レーシングスーツにフルフェイスのヘルメット、蒸し風呂のような車内で、走行後は本当に苦しそうな表情を浮かべていたのが印象的だった。
そして驚いたのは、ラウンド7のエビスサーキット。
最終ラウンドのお台場には、ポイントランキング上位24名しかエントリーできないのだが、野村選手はこのボーダーライン上。ラウンド6でポイントを加算できなければ、これがラストランになってしまうという追い込まれた状況だ。そんなプレッシャーもあってか、テスト走行で大クラッシュ。もはやここまでか、と会場は絶望感に包まれたが、懸命のピットワークで、なんとか予選スタートへ向かう。
クルマの左右バランスが取れないという、ドリフト競技にとっては大きなハンデの中、思い切りのいい走りで、ギリギリ16位での予選通過。これによって、ランキングでも24位に入り、スレスレでこの日のお台場へと駒を進めることができたのだ。
最終戦のお台場でマシントラブル
満足に練習走行しないまま本番へ
お台場最終戦の前日、テスト走行日にピットを訪れるといつも通りの「のむけん」らしい姿が。メディアの取材にも、おチャラケながらサービス満点だ。
ところがマシンのほうは、スタート地点まで向かったものの、オイル漏れのトラブル。パワステ系の問題だったそうだが、「コース上にオイル撒いて、みんなに迷惑かけなくてよかった」と、ベテランらしい気遣いに満ちていた。
とはいえ、これで前日の練習走行無しで当日を迎えることに。心配は尽きない…。
11月3日、お台場の会場は、朝からファンでごった返す。もちろん、来場者の多くは、「のむけん」が目当てだ。
ブースエリアに出展された野村選手のブランド「URAS」のテントは、グッズを求めるファンで長蛇の列。野村夫人はもちろん、息子の圭市クンも、物販のお手伝い。ブースには、特設のメッセージボードも作られ、ファンが思い思いのコメントを野村選手に向けて残していた。
その一言一言からも、彼がどれだけ愛されてきたかを如実に表している。
そして、長らくタイヤをスポンサーしてきた「ダンロップ」もラストランを盛り上げるべく、「ありがとう、のむけん」の文字が入った応援フラッグを無料配布。スタンド席では、野村選手が走り出すと無数のフラッグが揺れ、見ているこちらも、思わず胸に込み上げてくるものがあった。
しかし、今度は駆動系のトラブルが野村/スカイラインを襲い、本番前の練習走行も満足にできないまま、車両を引き上げることに。心配そうにファンが幾重にもなって見守る野村選手のピットへ向かい、チームスタッフに話を聞いたところ、練習走行中にLSDのサイドフランジがねじ切れたそうだ。
ここでリタイアかと危惧したが「もう交換したので大丈夫」と聞き、ホッとひと安心。ギリギリで修復作業を終え、野村選手がクルマへ乗り込む際には、息子であり、信頼するスポッター(ドリフト競技でドライバーへ指示を送る重要な役目)でもある圭市クンと言葉を交わし、ガッチリと握手してピットを出た。
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渾身の走りで予選2本目に期待をつなぐ
出走順はランキング24位の野村選手がトップバッターで、スタンドはいきなりヒートアップ。
「まずまず」の走りで94.01点をマーク。ただ、上位選手は限りなく100点に近いスコアを出すことが予想されるだけに、このままでは追走ファイナル進出となるトップ16は厳しい。ところが、神風でも吹いているのか、後続選手が続々とミスを連発。
1回目で24台中の上位8台が予選突破。2回目で残り8台の枠を16台が競い合うという方式だが、2回目の走行へと期待を抱かせる展開になった。
気合い満点での臨んだ2回目。「ラストになるかもしれない」と予感するファンは、黄色いフラッグと魂の声援で野村選手をサポート。結果は1回目を上回る95.89点! あとはジタバタしても仕方ない、残りの選手待ちだ。
急遽、実況席に呼ばれた野村選手も、はじめはネタを飛ばしていたが、残り選手が少なくなるにつれ、言葉少なに。最後の選手を迎える時点で、なんと野村選手が8位(まだ追走に残る可能性はあるじゃないか!)。
しかし残るは、昨年のシリーズチャンピオン藤野秀之選手。危なげない走りで96.47点をマークし、この時点で野村選手の追走トーナメント進出の夢が絶たれ、のむけんのD1が終わった…。
ファンへの感謝を述べて実況席を降りる姿に、スタンドからは温かい拍手と涙が。
会場が一体となった「のむけん」引退セレモニー
すっかり暗くなったお台場。追走トーナメント決勝が終わり、内海彰乃選手の優勝が決まると、そのまま野村選手の引退セレモニーへ。
最初は単走でコースをドリフトし、続いて、先に引退したレジェンド、熊久保重信さんと追走でドリフト…という夢のようなシナリオだったのだが、単走で「セクター2」を過ぎたあたりでまさかの失速。
「あ~」という悲鳴が会場を包み、野村選手はマシンを降りた。結局、マシントラブルで走りきることができなかったのだ。
「事実は小説よりも奇なり」。そう、台本通りにはいかないもの。
愛機ER34スカイラインの前にひざまづき、土下座で満員の観衆にお詫びすると、割れんばかりの大拍手。追走こそ実現しなかったが、盟友、熊久保さんのドライブするランエボの助手席に座り、コースを周回。黄色いフラッグが闇に揺れ、あちこちから「ありがとう! のむけん」の声が飛んだ。
ステージでは野村選手の功績を讃えるVTRが流れ、シリーズチャンピオンを決めた横井選手が花束を贈呈。熊久保さんからも花を受け取ると、涙の抱擁で、ファンももらい泣き。そして、ステージ上での胴上げ。
全てのプログラムが終わり、コースオフとなっても、野村選手とマシンの周りには、もの凄い人だかりが。サインをせがむファン、感謝の言葉を述べるファン、ただただ涙するファン。これほどまでに愛されたD1ドライバーは、野村謙を置いて他にはないだろう。
こうして、のむけんラストランの長い一日は幕を閉じた。決してこの11月3日を忘れることはないだろう。
そして、野村謙の新しいスタートを心から応援したいと思う。