日産の技術を育てたラリー参戦
日産のモータースポーツ活動というと、歴代スカイラインを代表とするサーキットのイメージが強いが、じつは1950年代から1990年代まで「ラリー」にも積極的に参戦していた。その主戦場は、もっとも過酷と言われていたサファリラリーだった。
そんな歴史を振り返る展示が、12月2日に静岡県の富士スピードウェイで開催されている「ニスモフェスティバル2018」で行われていた。20世紀を駆け抜けた日産のラリーカー8台をご覧いただきたい。
ダットサン1000セダン富士(1958年オーストラリアラリー)
日産の国際モータースポーツの始まりは、1958年のオーストラリアラリーだ。これに参戦したのがダットサン1000セダン富士。わずか34馬力の988cc4気筒OHVエンジンで約1万6000kmのラリーに参戦したのだ。
ダットサン ブルーバード(1966年サファリラリー)
310型の初代ブルーバードでサファリラリーに挑戦したが完走はできなかった。その屈辱を晴らしたのが1966年より挑戦した2代目ブルーバードとなる410型。
80馬力の1.3リットル直4OHVエンジンを搭載していた。フロントサスはダブルウィッシュボーン。
当時のサファリラリーは全走行距離5000kmともの凄く過酷で、1966年は88台が参戦したが完走はわずか9台だった。総合5位、クラス優勝を果たす。
1970年には3代目となる510型ブルーバード(1600SSS)がサファリラリーに参戦。見事に総合優勝を果たす。その偉業は、石原裕次郎が主演した「栄光の5000キロ」と映画化されるほどだった。
残念ながらニスモフェスティバルでは、このブルーバードは展示されていなかった。
ダットサン240Z(1971年サファリラリー)
日産は、サファリラリー2連覇を目指し、1969年に登場したS30型初代フェアレディZに2.4リットル直6エンジンを搭載した240Zを投入。240Zは、Zノーズと呼ばれる空力性能を高めたフロントノーズ(Cd値0.38と当時のスポーツカーとしては驚異的な数値だった)が有名でサーキットのイメージが強いが、じつはラリーで勝つためにL24型2.4リットル直6SOHCエンジンが作られたのだ。
ラリーマシンの最高出力は210馬力、最大トルクは25.5kgmを発揮していた。
ダットサン ブルーバード 1800 SSS(1972年)
バイオレット(1978年サザンクロスラリー)
バイオレット(1982年サファリラリー)
シルビア240SX(1988年サファリラリー)
パルサーGTI-R(1991年アクロポリスラリー)