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悲運のマシン「紫電77」を生みの親、ムーンクラフトが40年ぶりに復活させる

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了

由良拓也氏がカウルワークを担当

 シャシーは英国のコンストラクター「GRD」。チーフデザイナーを務めたキャリアを持つ森脇基恭氏が手掛け、それまでに何度も“富士スペシャル”を生みだしてきた由良拓也氏がカウルワークを担当した。

 ちなみに、オープン2シーターのみだった富士GC初のクローズドクーペとなった理由は、直線の長いストレートで空力的に有利だろうと判断されたから。

 モータースポーツ専門誌のレポーターとしてレース取材を始め、当時は片田舎に住む貧乏学生としてはクルマ雑誌で見かけただけだったが、空力云々よりも、その流麗なデザインがとても印象的だった、と筆者には強烈な思い出として残っている。

 しかし実戦では苦戦を強いられることになる。空力を追求した結果、テールは低く後方まで伸ばされていたが、結果的にリアエンドのマスが大きくなり運動性能を阻害することになった。

 さらにクーペ・ボディとし、大きなガラス製のフロントウィンドウを採用したことで、重量が嵩んでしまったことも大きなウィークポイントとなってしまった。他にもクローズドクーペとしたことによるウィンドウの曇りやオーバーヒートにも悩まされたようだ。

 紫電から紫電改へと移行し、続出するトラブルに対し様々な改造が施されたが、本来期待されていたパフォーマンスを発揮することなく、78年のレース中に炎上。文字通り燃え尽きてしまった悲運のマシンだった。

 

紫電77、紫電、ムーンクラフト、由良拓也、グラチャン、富士GCシリーズ、レプリカ写真は、平成の大改修を前に2003年に富士スピードウェイで行われたラストイベントで走行するマッドハウス製の紫電77(レプリカ)。生沢徹選手のGRDを従えてヘアピンへとアプローチしていく。
(画像:富士スピードウェイ・広報部提供)。

 その後、由良氏(ムークラフト)が様々なマスターモデルを処分した。その時に、紫電のマスターモデルを引き取っていたのが、由良氏の友人でカウルワークのスペシャリストとして知られるマッドハウスの杉山哲氏。杉山氏は、FJ1600のシャシーをベースにした紫電を2002年に復活させ、富士スピードウェイのイベントにも登場してファンの話題を集めることになったのだ。

 

紫電77、紫電、ムーンクラフト、由良拓也、グラチャン、富士GCシリーズ、レプリカ個人的な見解だが、SSOEで最も美しかったクルマがムーンクラフトの紫電77(レプリカ)。当時のスポンサーだった”Garage伊太利屋”のカラーリングも含めて、流麗なカウルワークのカッコ良さは群を抜いていた。
まだプロジェクトとして復活途上にあるクルマだが、早く完成したクルマを見たいものだ。

 

 SSOEに登場したマシンは、紫電77の生みの親であるムーンクラフトとしてのプロジェクト。当時の紫電77は、オリジナルのシャシーを使用していたが、今回のプロジェクトではウエストレーシングカーズ製のVIVACE-7(ヴィヴァーチェ・7)のフレームを使用。ホイールベースやトレッドが違うことに対してはアームを新調することなどで対応しているようだ。

 SSOEで展示されたのはフレームにカウルが装着された段階。これからさらに完成までには手が掛るはずだが、当時、強烈な印象を受けた紫電77の復活には個人的にも興味深々である。

紫電77、紫電、ムーンクラフト、由良拓也、グラチャン、富士GCシリーズ、レプリカ“懐かしさ”が漂うコクピット。シングルシーターのヴィヴァーチェがベースとあって、紫電77もシングルシーター。フレームは、パイプ製のスペースフレームにアルミパネルを張る、いわゆるセミ・モノコック。大径のアナログメーターでなく、コンパクトな液晶デジタルメーターとなる。

 

なおムーンクラフトのホームページでは同時進行で製作記を掲載。こちらもチェックしておきたい。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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