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東欧を代表する自動車メーカー「タトラ」戦後のモデルと終焉まで

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了

タトラ T700「さらなる大排気量化とその歴史の終焉」

 1996年、T613に代わってタトラで最後の乗用車となった「T700」がデビュー。実はT613のモデル中期以降、80年には発展モデルとも言うべきT623が登場したものの、96年にはT613と同時にT623も現役を退いた。このT623は、言わばメーカー公認のコンプリートカーで、T613に3.5リットル/3.8リットルのV8エンジンを搭載したモデルだった。

 1996年に登場したT700は、このT623にヒントを得てV8エンジンの排気量を3.5リットル/4.4リットルまで拡大したもの。もともとT613でも大柄だったがT700ではボディサイズも全長=5135mm×全幅=1800mm×全高=1480mmとなり、特に全長ではT613に対して115mmも延長されている。ホイールベースも3130mmとT613に比べて150mmも伸ばされているから、結果的にオーバーハングは少しだけ切り詰められたことになるのだが…。
 これほどの偉丈夫でエンジンの排気量も大きく拡大されていたから、上級官僚などに愛されるプレステージカーとしてはともかく、レドヴィンカや彼のお弟子さんたちが目指していた『コンパクトで技術的にも斬新なクルマ』とはずいぶんかけ離れてしまったように映る。
 レドヴィンカは抑留から解放された後、タトラに戻ることなくチェコを離れオーストリアに移り住んで技術コンサルタントとして活動。後にドイツのミュンヘンに移り住み、67年に交通事故で他界していたレドヴィンカは、泉下からその後のタトラをどのように見ていただろうか。

【Tatra T700】

タトラ、T600、T613、T700、チェコさらにモダンに生まれ変わったT700だが、ヘッドライト周りのデザイン処理などにタトラらしさが息づいている、と感じるのは気のせいだろうか。
T613と同様にリアのオーバーハングが切り詰められ(実はホイールベースが伸ばされ後輪が後退した)、結果、T613以上にリア・エンジンを感じさせるものがなくなった。6ライトのサイドウィンドウは大きく室内も伸びやかで、まさに上質の大型乗用車に進化を遂げたのは事実。ドイツ製のプレステージ・サルーンにも引けを取らないだけの存在感だ。
コプジブニツェのタトラ技術博物館で撮影。タトラ、T600、T613、T700、チェコ

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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