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軽自動車のエンジン搭載のミニF1「FL500の歴史を探る Part1」

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了

【KE-FJ-Ⅱ】

FL500、ハヤシレーシング、ベルコ 後にF1マシンを製作したKE(コジマ・エンジニアリング)が手掛けたFLが「KE-FJ-II」。アルミモノコックに前後ダブルウィッシュボーン・タイプのサスペンションを組み付けていたパッケージングはライバルと似ていたが、前後のサスペンションがロッキングアームを使ったインボード式となっていたのが大きな特徴だ。マツダのワークスドライバーだった片山義美選手が活躍し、ライバルを一蹴する速さを見せつけた。FL500、ハヤシレーシング、ベルコ

 SSOEに参加していたNo.17号車は、71年式のKE-FJ-IIとあったが、エンジンの両肩まで伸びたカウルは発展型のFJ-IIB用。オリジナルではリアもロッキングアーム式のインボードだったが、この個体はアウトボード式にコンバートされていた。その辺りの状況については取材が行きとどかなかった。ちなみに、FJ-Ⅰではスプリングにトーションバーを使用したが、FJ-IIではコンベンショナルなコイルスプリングに変更されている。

 

【アドバンスド・デザイン AD305(Advanced Design AD-305)】

FL500、ハヤシレーシング、ベルコ FLが国内レース界で果たしてきた“役割”は実に多岐に及んでいて、レーシングドライバーの輩出・育成だけでなく、コンストラクターを育んできたのもその一つで、幾つものマシンがリリースされてきた。「AD305」もそんな1台だ。鋼管スペースフレームにFRP製の外皮をまとい、前後のサスペンションはアウトボード式のダブルウィッシュボーンを採用。コンベンショナルを絵に描いたようなパッケージだが、スムースな局面で構成されたカウルワークのデザインは秀逸である。
 F1GPにも“キットカー”が活躍できる旧き良き時代があったが、当時のFLもそうだった。現オーナーの苦労の甲斐あってかコンディションは上々。改めて取材したい1台だ。

 

 

【ウエスト759(West 759)】

FL500、ハヤシレーシング、ベルコ ベルコで修業した神谷誠二郎さんが、鈴鹿で興したベルコ・ウエストの処女作が「ウエスト759」。翌76年にはスポーツカーノーズにコンバートした769が登場している。759のネーミングは製造年(75年)と所属カテゴリー(FLは当時グループ9=リブレの範疇とされていた)を示す。
 なお日本人として初のF1レギュラードライバーとなった中嶋悟さんがプロへの一歩を踏み出した、初めてドライブしたフォーミュラとしても知られる。FL500、ハヤシレーシング、ベルコ

 当時のF1GPで活躍していたブラバムBT42などにも似た三角断面のモノコック。フロントのウイングを取り去ってシャープなノーズを装着し、ラジエターはエンジンの両サイドにマウント。フロントサスはロッキングアームを使ったインボード式のダブルウィッシュボーン・タイプを採用するなど、メカニズム的にも随分斬新だった。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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