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国産セダンがポルシェの前を走った日「スカイライン」モータースポーツ列伝

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田了/Auto Messe Web編集部

ホイールベースの短縮でハンドリングを改善

 69年5月、4ドア版GT-Rのデビューレースでは、ワークスドライバーの参戦が許されず、若手が何とか優勝するも後味の悪さが残った。だが、その後はワークスドライバーが連戦連勝。熟成が進んだことで若手のプライベートも安定して好成績を残すようになった。

 70年10月にハードトップモデルが登場して以降、ワークスドライバーはこちらの開発と熟成に専念。70年には高橋国光が4ドアGT-Rで全日本選手権をパーフェクトで制する離れ業を見せたが、71年には長谷見昌弘が2ドアハードップGT-Rで、やはり全日本選手権を制している。ここまでライバル不在の独り勝ちだったが、71年の後半からはマツダのサバンナの「ロータリー軍団」が力をつけてきて毎戦のように好バトルが展開されることになった。

 主戦場は富士スピードウェイ。30度バンクを使った右回りの6kmコースではGT-Rが優位を保っていたが、左回りの4.3kmコースではロータリー勢が肉薄。そんな繰り返しの末、72年3月に行われた富士グラチャンのサポートレースで高橋国光が通算50勝をマークしたのである。

 ちなみに、この勝利数には諸説あるが、ホイールベースが短縮されハンドリングが改善されたGT-Rの2ドアハードトップ仕様が、究極のレーシングカーであったことは紛れもない事実なのだ。(濃緑の幅広ストライプに白いゼッケンサークルを重ねた8号車は、71年日本GPの長谷見仕様。ブルー&ホワイトに塗り分けられた15号車は、72年に50勝をマークした時の国光仕様)

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
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  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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