クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB

クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ)

  • TOP
  • CUSTOM
  • 「低偏平タイヤ」を採用するクルマはなぜ増えた? その理由と歴史を振り返る
CUSTOM
share:

「低偏平タイヤ」を採用するクルマはなぜ増えた? その理由と歴史を振り返る

投稿日:

TEXT: 片岡英明  PHOTO: Auto Messe Web編集部

海外からの圧力で解放された偏平タイヤ

 昭和のクルマと現代のクルマで大きく異なるのがタイヤだ。なによりタイヤ側面の厚みがまったく違う。現在のような低偏平タイヤが装着できるようになったのは、じつは海外からの圧力によって運輸省(現・国土交通省)が許認可を出した歴史があった。

 1970年代の前半まで、乗用車のタイヤの偏平率は82%が多かった。偏平率というのは、タイヤが路面に接地するトレッド部分の断面積に対する高さのこと。接地面に対するタイヤ側面の比率と言ったほうが分かりやすいかもしれない。

 偏平率の数字が小さくなるのが低偏平(ロープロファイル)化といわれ、タイヤの接地幅が広がるとともに、サイドウォール(タイヤのゴム側面)が低く、薄くなるというもの。時代とともに低偏平化は進み、最近では35~40%というタイヤも珍しくなくなった。ファミリーカーやミニバンでも偏平率45%や50%という低偏平化が増えている。

 

レビンやトレノで70偏平タイヤが標準に

 67年に横浜ゴムが日本初のラジアルタイヤ(GTスペシャル)を発売。そして、71年にスチールラジアルへと発展した。これ以降、高性能モデルから順次、ラジアルタイヤに切り替わっていくのである。73年1月にデビューした「ケンとメリー」の愛称でおなじみの日産・KPGC110型スカイラインGT-Rは175HR14サイズのラジアルタイヤを装着。すなわちタイヤの幅が175mmで、サイズは14インチだ。
 その前のハコスカと呼ばれていたC10型スカイラインの世代までは、GT-Rであってもバイアスタイヤが標準。ラジアルタイヤに比べ、製造が容易で低速や悪路での乗り心地は良かったが、高速安定性などは劣っていた。

 また、60年代のタイヤの偏平率は82%が基本。サイドウォールのゴムの部分が厚いので乗り心地はよく、路面とタイヤの接地面が縦長になるので転がり抵抗が小さいため燃費の点でも有利だった。数少ない例外がホンダ1300と初代のマツダ・サバンナで、偏平率は80%や78%と時代に先駆けて低偏平化していたが、微々たるものであった。

 だが、70年代半ばになるとスーパーカーブームが巻き起こり、タイヤへの依存度が高くなる。日本でも偏平率が82%から70%へと変わっていく。偏平率70%のタイヤは経済性や乗り心地は今ひとつだが、コーナリングなど、横向きの力に耐える剛性が高く、ハンドリングも向上。基本的には、低偏平率になり、路面との接地面が横に長くなればなるほど、コーナーでの踏ん張りが効くわけだ。

 また、タイヤのサイドウォールが薄くなり、ホイールの存在感が増すから、カッコいいと感じる人も少なくない。そして、72年に登場したカローラレビンとスプリンタートレノは、一歩先んじて175/70HR13サイズという70%偏平のタイヤを国産車として初めて採用したのだ。

 ちなみに、ヨーロッパではターボ車が登場し、スーパーカーも続々と誕生。70年代の半ばから低偏平化が一気に進んだ。ピレリは「P6」を発表し、これはピレリP7へと発展。タイヤの偏平率は70%から60%タイヤになり、それ以下の偏平率のタイヤも検討された。

 その当時、偏平率に対する規制は運輸省令にはなかったが、運輸省は行政指導の名の下に低偏平タイヤを拒否している。70年代のフェラーリやポルシェなどのタイヤは60偏平が多かった。安全に関する重要なことなので、運輸省は消耗したときや傷をつけたときの補修用に限定し、輸入車に限って履き替えと販売を認めたのである。

 また、運輸省が日本の自動車メーカーに60タイヤを純正採用することを認めなかった理由は、低偏平タイヤは暴走行為を助長する、という当時の社会現象にとらわれられた理屈からだ。そのため60%偏平のロープロファイルタイヤは長いこと、日陰者となってしまう。

 そのため、78年に横浜ゴムは『アドバン』、ブリヂストンは『ポテンザ』というスポーツタイヤを世に送り出したが、最先端の60%や50%の偏平は海外での販売が中心だったのである。

 

さらに進んだ80年代の低偏平化

 ところが、80年代を前に転機が訪れた。国産車に装着されているのが国産タイヤだけだったことに対し、フランスやドイツなどのヨーロッパ諸国、アメリカなどが貿易不均衡を訴え、海外製品を排除するための差別政策じゃないかと詰め寄ったのだ。外圧に屈する形で、運輸省は輸入製品を純正採用することを認めている。まだ70%偏平だったが、トヨタの初代ソアラや日産スカイラインが「ミシュランXVS」を純正採用。一気に、低偏平化の道は開けていった。

 80年代になると、運輸省は重い腰を上げ、ドアミラーやスペースセーバータイプのスペアタイヤ、エアロパーツなどを認可。1983年、念願だった60%偏平のタイヤが晴れて解禁となり、スポーティモデルを中心に装着車が増えていく。

 そして、84年にはダイハツ・シャレード・デトマソ・ターボがピレリ製の65タイヤを採用。65%偏平は、70タイヤの快適性と60タイヤのハンドリング、気持ちいいフットワークを両立させたのである。

 

 さらに88年、ついに50%偏平と55%偏平が認可。最初に50タイヤと55タイヤを標準装備したのは、三菱スタリオンGSR-VR。フロントが55タイヤ、リアが50タイヤという前後異サイズと、当時としては画期的だった。

 平成になると、45%偏平やそれ以下の超偏平タイヤも認可。現在の市販タイヤには、25%という極薄サイズまで存在するようになったのである。

すべて表示

 

 

 

 

 

 

 

RECOMMEND

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

 

 

 

 

 

 

 

人気記事ランキング

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

AMW SPECIAL CONTENTS