漫画「サーキットの狼」の影響でブームに
レーシングカーでもGTでもスポーツカーでもないクルマ……。それが1970年代に大ブームとなった「スーパーカー」だ。平成の終わりに昭和の少年たちが恋い焦がれたスーパーカーを振り返ってみよう。
ランボルギーニ・カウンタック
スーパーカーについては、カウンタック抜きには語れない。ウエッジシェイプなデザイン、リトラクタブルヘッドライト、ガルウイング(シザーズドア)、ミッドシップレイアウト、V12気筒エンジンなどスーパーカーの定理とは、カウンタックそのものともいえる代表格。その後のモデルはカウンタックを基準に、減点法で採点してもいいぐらいインパクトが強い。それほどにスーパーカーの原器的な存在だ。
そんなカウンタックは1974年に登場。ボディデザインを担当したのはスーパーカーエイジなら誰もが知る、ベルトーネ時代のマルチェロ・ガンディーニ。車体設計はパオロ・スタンツォーニが手がけた。彼は市販車とは思えないほどに手の込んだ複雑なマルチ・スペースフレーム(パイプフレーム)を考案。現代でも通用する高剛性ボディをカウンタックに与えたのである。
後方にあるエンジンルームには、V12気筒エンジンを縦置きに搭載。なおかつ2450mmというショートホイールベースの内側に収まるべく、トランスミッションをエンジンの前方、コックピット側にレイアウトするという大胆な手法を採用した。大排気量スーパーカーの中では、素晴らしいハンドリングを持つマシンと言われた。
当時、各地で開催されたスーパーカーショーでは常に主役だったカウンタック。デビューから半世紀経っても、その輝きは失われない、不朽のスーパーカーである。
ポルシェ911ターボ(930型)
カウンタックがイタリアンスーパーカーの星であったとすると、徹底したハイパフォーマンスカーの雄は、ポルシェが放った930ターボだろう。
なかでも70年代前半に最強のポルシェとして有名だったのは73カレラRS。それをベースにコンプレッサーで圧縮した吸入空気をシリンダーへと押し込み、排気量アップと同じ効果を得るターボチャージャーを採用。3リッターターボで260psを発揮したのが、930ターボだった。
最高速度300km/hといわれたカウンタックに対し、実測値で250km/h。しかし、ゼロヨン12秒というのは、オイルショック時代の牙を抜かれた国産スポーツでは、仮面ライダーとショッカー隊員並みの大差があった。
強烈無比なドーピングパワーの源が「ターボ」という未知のシステム。日本のクルマ好きには、「ターボ信仰」が植えつけられ、のちに軽自動車から大型セダンまで、ターボを採用するクルマを数多く誕生させるきっかけにもなった。
930ターボは、グループ4レースのホモロゲートミートバージョンとして誕生する。グループ4ではフェンダーの張り出しが制限されていたので、市販車からオーバーフェンダーを装着。エアロの追加もご法度だったために大型スポイラーを採用したり、排気量も変更NGだったため、ターボ&ブーストアップで強大なトルクを得た。
オーバーフェンダー・ワイドタイヤ・大型リアウイングなどのエアロパーツが、ハイパフォーマンスカーのイメージとして定着したのは、この930ターボを手本にしたからに他ならない。
ディーノ206/246
スモールブランドの第一弾として、夭折したエンツォ・フェラーリの長男、アルフレード・フェラーリの愛称「ディーノ」の名を与えた名車。ミッドシップに、F2用のエンジンとして開発していたV6エンジンを採用。12気筒エンジンを搭載しない初のフェラーリとなった。
エンジンの開発には、アルフレード・フェラーリが携わっていて、エンツォにとっても特別な一台。流麗なフォルムを描くボディは、ピニンファリーナがデザインしたことでも有名だ。
昭和の少年たちを熱狂させた漫画「サーキットの狼」の中では、ナンバーワンのハンドリングを誇る一台として紹介されていたのも有名な話。2リッターV6のディーノ206は1967年にデビュー。2年後に2.4リッターに排気量アップしたディーノ246が登場した。