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自動車のハイパワー化は悪だった「馬力規制で飛躍した昭和のクルマたち」

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TEXT: 片岡英明  PHOTO: 日産自動車、Auto Messe Web編集部

規制突破に満ちた高度経済成長期

 日本では、2004年まで国産車には「280馬力自主規制」という制約が課されていた。これは国土交通省(運輸省)が、パワー競争をする国産メーカーに待ったを掛けたような規制だった。ところが、それ以前の1970年代にも145馬力(ネット)自主規制が設けられていたのである。

 1970年代の前半、自動車産業は毎年のように生産台数を増やし、輸出も大きく伸びるなど、我が世の春を謳歌していた日本。だが、73年10月、第4次中東戦争が勃発したのを受け、オイルショックが世界中を襲う。

 原油価格は大幅に引き上げられ、一気にガソリン価格は高騰。当然、エネルギー源を中東の石油に依存した先進工業国の経済はパニックに陥っていた。ここ日本でもエネルギー計画の軌道修正を迫られ、高性能を売りにするスポーツモデルは目の敵(かたき)にされてしまう。

 日産自動車はオイルショック直後の1973年の東京モーターショーに、S30型フェアレディZのリーダーとして2.6リッターエンジンを搭載する260Zを参考出品。年明けには日本でも投入する予定だったが、販売計画を白紙に戻している。排ガス対策に加え、燃費向上のための早急な対策を迫られるようになったのだ。

 結果、スポーツモデルは冬の時代に突入。クルマの高性能化はタブー視されるようになり、以降の国産自動車メーカーは大がかりな排ガス浄化システムの開発に没頭するようになる。

 

問題をクリアしつつ独自に高性能化

 排ガス対策にめどが立ち、78年には日産がフェアレディZ(130型)をモデルチェンジ。2.8リッターのL28 E型直列6気筒SOHCエンジンを積む280Zをフラッグシップに据えた。最高出力は145馬力/5200rpm。初代スカイライGT-R(PGC10型)が搭載した排ガス対策前のS20型2リッター直列6気筒DOHC4バルブエンジンは、160馬力/7000rpm。L28E型エンジンは、この数値に遠く及ばないが、高性能を大っぴらに宣伝できない時代だから控え目な馬力としていた。

 また、79年にはトヨタ・クラウンと日産・セドリック/グロリアが相次いでモデルチェンジ。それぞれのトップモデルは2.8リッターエンジンを搭載し、クラウンのトップモデルであるロイヤルサルーンは、日産に右へ倣えと5M-EU型エンジン145馬力/23.5kg-mという同等のスペックとした(トルクはちょっとだけ上乗せしている)。

 そして、同年の秋には430型セドリック/グロリアの4ドアハードトップに日本初となるターボチャージャーを採用。小型車枠に収まる2リッターのL20ET型直列6気筒SOHCターボを搭載し、12月に発売を開始した。

 パワースペックは145馬力/21.0kg-m。まだ省エネの風潮が残っていたし、高性能化は暴走行為を助長するとの理由から、当時の運輸省はターボ装着車の認可を渋っていたという。そこで”ターボを効かせない領域では燃費がいい”と、理論武装して「省エネターボ」の名の下に認可を勝ち取ったのだ。

 だが、リーダー格である2.8リッターモデルの面子をつぶさないように、2リッターエンジンの最高出力は145馬力を上限として認可。これは自主規制だったが、実際は暗黙の了解で、破ることはできなかったのである。

 ところが、81年に自主規制の壁は打ち破られた。引き金を引いたのは、2月に鮮烈なデビューを飾ったトヨタの初代ソアラ(Z10型)だ。このクルマのために開発したツインカム6の5M-GEU型2.8リッター直列6気筒DOHCエンジンは、慣例を破って170馬力/5600rpmを発生。ライバルメーカーを驚かせた。

 秋には日産がスカイライン2000RS(R30型)を発売する。注目のエンジンはFJ20型と呼ばれる2リッター直列4気筒DOHC4バルブ。最高出力は150馬力/6000rpmと、2リッターエンジンで145馬力の壁を崩している。ただし、SOHCターボのL20E型エンジンは145馬力/21.0kg-mに据え置かれた。トヨタや三菱もターボで武装したが、2リッターのSOHCエンジンは、その後も145馬力にとどまっている。

 

パワーと省エネの両立を図ったターボ技術

 83年には軽自動車にもターボを装着。また、スカイライン2000RSは、FJ20型DOHCエンジンにターボで武装したFJ20ET型を追加し、190馬力を絞り出す。さらに燃焼効率を高めるインタークーラーを追加し、「史上最強」とカタログで謳うスカイライン2000RSターボの最終型では205馬力/6400rpmを発揮。最大トルクも23.0kg-mから25.0kg-m/4400rpmに引き上げられたのである。

 もちろんトヨタも負けられない。ソアラやセリカXXなどには、2リッターの1G-GEU型直列6気筒DOHC4バルブエンジンを搭載。前述のSOHCターボは145馬力だったが、DOHC化した1G-GEU型の最高出力は160馬力/6400rpmとなり、後にインタークーラー付きターボも開発し、ネット値で185馬力を絞り出した。

 そして、三菱自動車も日産とトヨタに対抗。初のスペシャルティカー、スタリオンだ。82年5月に登場し、ターボで武装した2リッターのG63B型直列4気筒SOHCエンジンを搭載。145馬力を守っていたが、翌年の7月には日本初のインタークーラー付きターボを投入し、最高出力175馬力を発生させる。さらに翌年の84年にはバルブ機構を3バルブと2バルブに切り替え可能なシリウスダッシュ3×2エンジンを搭載。あっさりと200馬力の大台に到達させたのである。

 このような経緯からオーバー2リッターエンジンも自主規制は無意味と悟り、145馬力規制を撤廃。85年にマイナーチェンジで3リッター6M-GEU型エンジンを搭載したソアラを追うように、3代目フェアレディZ(Z31型)は新開発の3リッターVG30ET型V型6気筒SOHCエンジンを搭載。このエンジンを積む300ZXは、当時最強の230馬力を誇示した。

 これ以降、日本は世界に誇るターボ先進国にのし上がり、世界屈指のパワフルなエンジンを続々と登場させるのである。しかし、あまりにも過激だったから、89年をもって280馬力自主規制が再び敷かれていくのであった。とはいえ、90年代の国産スポーツカーは簡単なチューニングで300馬力以上は当たり前。日本メーカーが誇る名機は当時の若者がクルマに熱狂したきっかけとなった。EV化や自動運転化が進むなか、いい時代だったのかもしれない。

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