悪条件でも走りきれる絶対的な走破性
2018年7月、じつに20年ぶりとなるフルモデルチェンジを受けたスズキ・ジムニー。瞬く間に1年分の国内販売目標台数(15,000台)を受注した人気ぶりは周知のとおりだ。実際、ステアリングを握れば今も行く先々で熱い視線を集め、絶好調ぶりはとどまるところを知らない。
「プロの道具」という、機能に徹したコンセプトを明快なデザインでまとめた商品性は、これまで縁がなかった女性層からも注目を集めるほど魅力的。しかも現在、同じ土俵に他メーカーの競合車は一台も存在しない。軽自動車のオフロード4WD市場は、まさしくジムニーの独壇場なのである。
しかし振り返れば、かつてはジムニーを脅かすライバル車たちが存在した。筆頭は三菱パジェロミニだろう。2代目パジェロが飛ぶ鳥を落とす勢いでクロカンブームを牽引する中、その可愛い弟分として丸目の初代が1994年に誕生した。
メカニズムは兄貴譲りの凝りようで、ボディはモノコックの軽さと別体フレームの強度を併せ持つビルトインフレーム構造。660㏄エンジンは贅沢な4気筒で、高出力版には1気筒5バルブのDOHCターボを7代目ミニカに続いて搭載した(5バルブDOHCは6代目ミニカが4輪車初)。
駆動方式は走行中も切り換え可能なFRベースのパートタイム4WDで、もちろんハイ/ローの副変速機付き。本格オフローダーとしての走破性を備えたうえ、当時の2代目ジムニーはデビューから13年が経過していたこともあり、普段使いではジムニーを明らかに上回る実用性や快適性を実現した。
98年には、軽自動車の新規格導入(ボディサイズの大型化)に合わせ、角目の2代目にフルモデルチェンジ。初代のコンセプトを受け継ぎながら、安全性や燃費・クリーン性の向上など、時代の変化にふさわしい進化を遂げた。2008年から日産にキックスの車名でOEM供給していたのも、2代目の特徴だ。
そして軽の新規格化を機に、ダイハツからはテリオスキッドが参戦。前年の97年に登場したコンパクトSUV、テリオス(1.3リッター)とプラットフォームや基本ボディを共用する軽自動車版で、成り立ちは歴代ジムニー/同シエラや初代パジェロミニ/パジェロジュニアの関係と同じだ。
ボディは軽SUV唯一の5ドア。現在でも通用するロングホイールベースと相まって、軽ハイトワゴンにヒケをとらない室内の広さを誇った。3気筒DOHCターボエンジンには、ハイパワーなインタークーラー付きと実用型のロープレッシャー版を設定。駆動レイアウトはFRベースで、4WDには上級オフローダーで主流のセンターデフロック可能なフルタイム方式を採用した。また、最低地上高195mmの標準タイプから20mmローダウンしたエアロモデルの設定は、テリオスキッドの存在感をさらに際立たせた。
また、オフローダーではないが、ホンダが新ジャンル軽の創造に挑戦した2代目Zという変わり種も、同じタイミングで登場した。ワゴン風の3ドアボディは、これも余裕の最低地上高を確保。ただ、室内の地上高が高いのは、凝りに凝ったアンダーフロアミッドシップレイアウトのためだ。
3気筒SOHCのターボ&NAエンジンを何と後席床下に縦置きし、前後輪の回転差に応じて前輪も駆動するビスカス4WDを採用。狙いはフロントエンジンの軽では困難な、運動性能と室内空間の高度な両立にあった。ボディの全高を高くとっても重心は低く抑えられ、前後重量バランスは理想的な50:50を実現。室内長は軽トップレベルで、多彩なシートアレンジも軽オフローダーのライバルにはない強みだった。
しかし、実際の使い勝手は5ドアの軽ハイトワゴンに及ばず。極めて独創的な半面、いったいどんなクルマなのかユーザーにわかりにくく、販売は当初から不振が続いた。そして、他車と共用の利かないプラットフォームの特殊性もあり、ホンダZは02年に姿を消すことになった。
フルモデルチェンジのスパンが長い
そんななかで、パジェロミニとテリオスキッドは、その後も10年以上にわたって、同じく新規格に生まれ変わった先代ジムニーの対抗馬であり続けた。が、RVブームの終焉や軽ハイトワゴンの進化によって、販売台数は次第に低迷。ボディの歩行者保護基準が導入される12年をもって、両車とも生産終了となった。
本格的なオフロード走行に対応するボディ構造やドライブトレーンは、コストがどうしても高くなり、一般的な軽ハイトワゴンより価格的に不利だ。テリオスキッドも晩年の売れ筋は2WDだったと記憶している。
さらに、オフローダーはフルモデルチェンジのスパンが長く、商品性の鮮度を保ちにくい。これは、もともと販売台数が少なく、開発・生産にかかるコストを償却するには長い期間を必要とするため。また、過酷な使用条件下での信頼・耐久性を確保するという、オフローダーならではの理由もある。
もちろん、そうした事情はジムニーも変わらない。ならば、どうして軽オフローダーとして唯一台、生き残ることができたのか。
70年に登場した初代ジムニーは、原型となったホープスターON型の設計図と志を鈴木修氏(スズキ会長)がホープ自動車から譲り受け、社内の反対を押し切って誕生させた。「修さんのジムニーに対する思い入れが人一倍強いから」というウワサもあるが、あながち間違いではないかもしれない。
しかし、本当の理由はほかにある。
ジムニーは険しい山間部、厳しい積雪地の作業現場や生活を半世紀近くにわたって支えてきた。そうしたユーザーにとって何より大切なのは、流行でも快適性でもなく、どんな悪条件の道でも走りきれる絶対的な走破性。長年の実績によって絶大な支持を集めるジムニーは、なくてはならない唯一無二の一台なのだ。
販売台数が少なくても、ジムニーを必要不可欠とするユーザーが国内外に必ずいる。そして、そうしたニーズに応え続けなければならないという使命感が、スズキにはある。この両者の信頼関係が失われない限り、オフロード界最小の巨星が堕ちることはない。