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さらばトヨタ マークX! 令和元年に終わるマークIIからの歴史を辿る【前編】

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TEXT: 藤田竜太(FUJITA Ryuta)  PHOTO: トヨタAuto Messe Web編集部

歴代マークllを振り返る

 2019年12月で生産中止を発表したトヨタ マークX。そのルーツは、1968年に登場したコロナの派生モデル「コロナ マークll」から始まった。それ以降、マークllが9代、マークXが2代と、計11代・半世紀にわたって、トヨタのFR(後輪駆動)スポーツセダンとして存在感を示してきた。そこで、今回は初代から6代目までを簡単に振り返ってみることにしよう。

・トヨペット コロナ マークII(1968-1974年)

初代T60系(セダン)/T70系(ハードトップ)

 クラウンとコロナの間を埋めるちょっと遊び心を意識したファミリーカーとして、T40コロナをベースに開発された。1600㏄と1900㏄の二つのエンジンがあり、そのどちらにもフェアレディなどにも採用されていたスポーツキャブレターのSUキャブ仕様があった。

 1969年には、トヨタ1600GTの後継として、1900㏄の8RエンジンをベースにDOHC化したエンジン(140馬力)を積んだ「GSS」が加わっている。マークIIのピックアップトラックがあったのもこの時代。

・トヨペット コロナ マークII(1972-1976年)

2代目=X20(2ドアハードトップ)・X10(セダン他) 

 マークIIのライバルは日産ローレルやスカイラインだった。この2代目ではスカイラインを意識し、直6エンジンも搭載。DOHC+ツインキャブのGSSも設定され特撮テレビ番組「ウルトラマンA」のTACのパトロールカー(?)「タックパンサー」としても登場している。車両コードが「X」となったという意味で、マークXの遠祖といえる。ビジネス上はヒットしたとはいえなかった……。

・トヨペット コロナ マークII(1976-1980年)

3代目=X30/40 

 通称「ブタ目」と呼ばれる3代目。国産車らしくないフロントフェイスの一台で、「堅気になろう三代目」という開発コンセプトとは裏腹に、ちっとも堅気に見えない、古いアメ車のギャングが乗るようなクルマのできそこないのようにしか見えなかった。

 ワゴンとバン以外は4輪独立サスペンションと四輪ディスクブレーキが採用された。エンジンは、2600㏄直6の4M-Uが筆頭だが、DOHCは設定されなかった。1977年に、のちのマークII3兄弟の次男坊チェイサーが登場した。

・コロナ マークII(1980-1984年)

4代目=X60

 デザインが大幅に刷新され、現代のマークXにも通じるマークIIらしいスタイルを確立。マークII3兄弟の三男、クレスタも加わった。ここからマークII3兄弟の歴史がはじまったわけだ。サッシュレスの「4ドアハードトップ」を取り入れて、2ドアハードトップを廃止したのがエポックだった。

 エンジンはM-TEU型直6SOHCターボや2800㏄の5M-EU型直6SOHCがあったが、一番強力だったのは、マイナーチェンジで登場した、160馬力の1G-GEU型直6DOHC24バルブエンジン。大ブームとなった「スーパーホワイト」も、この4代目マークIIに設定されたボディカラーだった。

・マークII(1984-1988年)

5代目X70

 この5代目マークIIから、車名が「コロナ マークII」から「トヨタ マークII」となって派生モデルから一本立ちする。当時、量産車のツインターボはマセラティ・ビ・トゥルボ(ツインターボという意味)だけだったが、この5代目マークIIが、国産初のツインカム・ツインターボエンジン、1G-GTEU型2リッター直6を搭載(GT-TWINTURBO)。

 またハードトップのブラックアウトされたCピラーの処理「クリスタル・ピラー」が特徴的で、1985年度のグッドデザイン賞を受賞している。月販2万台以上という驚異のセールスを記録して、ハイソカーブームを作った一台となった。

 どこに行っても、スーパーホワイト、ツインターボ、デジタルパネルのマークII3兄弟をよく見かけた。若いクルマ好きが、ATの4ドア車に憧れを持つという新しいニーズを作り、マークII絶頂期へと向かっていった。

・マークII(1988-1992年)

6代目 X80

 マークll全盛期の歴史的大ヒットモデル。マークII3兄弟の合計で月販3万台を超え、1990年には年間販売台数がカローラを上回り、販売台数トップに立った。猫も杓子もタクシーも、そしてパトカーから教習車まで、やたらとマークII3兄弟という恐ろしいほどのシュアを誇った。

 ガソリン車は全車DOHCとなり、1990年には280馬力の2500㏄ツインターボの1JZ型エンジンを積んだ「2.5GTツインターボ」が追加される。シャシーは、基本的に先代からの流用で、全長×全幅はクラウンと同格に。マークIIシリーズでは最後の5ナンバーボディ。

 サスペンション関係は新しくなったが、古いシャシーに280馬力はさすがにミスマッチ。アクセルを踏み込むとやたらTCS(トラクションコントロールシステム。当時のトヨタ流ではTRC)が働いて、シャシーグリップの不足分をTCSでカバーさせただけのかなり乱暴な作りだったのが印象的。

 

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  • 藤田竜太(FUJITA Ryuta)
  • 藤田竜太(FUJITA Ryuta)
  • モータリング ライター。現在の愛車:日産スカイラインGT-R(R32)/ユーノス・ロードスター(NA6)。物心が付いたときからクルマ好き。小・中学生時代はラジコンに夢中になり、大学3年生から自動車専門誌の編集部に出入りして、そのまま編集部に就職。20代半ばで、編集部を“卒業”し、モータリング ライターとして独立。90年代は積極的にレースに参戦し、入賞経験多数。特技は、少林寺拳法。
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