史上初の自動車事故を起こした大型トラック
あちらこちらの自動車博物館を巡る旅を初めて10年になる。元来がクルマ好きだから、何処の博物館を訪れるのも楽しい旅にかわりはないのだが、それでもエポックなクルマを発見すると楽しさは倍増する。例えば世界初の…、などという惹句を目にすると、それだけで気持ちがそわそわしてくる。
どんな経緯で開発したのだろう?とか、どんな苦労があったのだろう?とか。そして、さらにそれを調べてみたい欲求に駆られることがある。そんな“自動車博物館で出逢った世界初”を、紹介していくことにしよう。まず今回は、世界初の前輪駆動車だ。
答を先に言うと、世界初の前輪駆動車は1769年から1770年にかけてフランスで製作されたFardier à vapeur (蒸気荷車)。つまり蒸気機関を搭載したトラック、ということになる。修復された2号車が収蔵されているパリの工芸博物館の展示パネルには1770_Fardier à vapeur de Nicolas Joseph Cugnotと製作者であるNicolas Joseph Cugnot(ニコラス・ジョセフ・キュニョー)の名も示されており、一般的にはキュニョーの砲車として知られている。そう、これは大砲を運ぶ荷車を馬ではなく蒸気機関で動かそうとした一大プロジェクトだった。
最終的には5tの大砲を運ぶ砲車として計画され、1769年に1/2スケールの1号車が完成。実走テストも行われている。期待していたほどの速さは得られなかったが、フルスケールの2号車の製作にゴーサインが出され、その2号車は翌1770年の11月に完成した。だが試運転時にコーナーを曲がり切れずに壁に激突、大破してしまった。
それも頷ける話で、そもそも大砲を運ぶ砲車として計画されていたから、車体の後半は荷台に充てられていた。そしてエンジン(蒸気機関)はフロントに置かれていたが、ドライブシャフトやジョイントはまだまだ技術的にも未完成で、操舵する前輪に載せられて直接動力が伝えられ、さらにボイラーがその前方にオーバーハングする格好で搭載されるレイアウトとなっていたから、ステアリング操作は並外れた重さになることは、容易に想像できるだろう。
もっと分かり易く解説するならハンドルを切れずに“手アンダー”でコーナーを曲がり切れず壁にクラッシュ!という格好だ。これでプロジェクトは一時棚上げとなり、さらに推進側のトップにあったフランス陸軍大臣のエティエンヌ・フランソワ・ド・ショワズールが失脚したことで頓挫。事故を起こした2号車は軍の工廠に仕舞い込まれてしまった。
ちなみに、この試運転中の事故は、今では史上初の自動車事故とされており、そのことからキュニョーの砲車自体が世界初の自動車としても認定されることになった。そして、それまで世界初の自動車とされてきたカール・ベンツのBenz Patent Motorwagenは、世界初の実用的な内燃機関を搭載した自動車、とされるようになった。
ところで、キュニョーの砲車の2号車はパリ工芸博物館(Musée des Arts et Métiers)に展示されているが現存する唯一の個体。だから他の幾つかの博物館で展示されているのだレプリカ(複製品)だ。
イタリアはトリノにあるカルロ・ビスカレッティ国立自動車博物館(Museo dell’Automobile Carlo Biscaretti di Ruffia)には7/10スケールのモデルがあり、
中国は北京にある北京汽車博物館(Beijing Auto Museum。ちなみに汽車は中国語で自動車の意)には1/2スケールのモデルが、それぞれレプリカ(複製品)であると注釈がつけられた展示パネルとともに展示されている。
そしてわが国でも、愛知県は長久手市にあるトヨタ博物館でも注釈つきで1/10スケールモデルが展示されている。
他の博物館にも展示されているかもしれないが、私が実際に出会ったのはパリ工芸博物館の実車と、他3例のみ。まだ他にあるかもしれないキュニョーの砲車(のレプリカ)を探し、今度はどこの自動車博物館を訪ねてみようか、ワクワク気分は止まらない。