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マツダ・ロードスター生誕30周年! 今だから話せる初代モデル開発秘話

米国からRX-7とは違うオープンカーを提案

「令和元年」がいよいよスタートした。30年前の平成元年(1989年)は、国産車の歴史的大豊作の年で、平成を通じてナンバーワンの名車ともいえる、マツダユーノス・ロードスター(NA型)のデビューイヤーでもあった。

 デビュー30周年を迎えた2019年4月に行われたオートモビルカウンシルで、初代ロードスター(NA型)の企画を手掛け、のちのマツダのデザイン本部長を務めた福田成徳さんにロードスターの試作車を前にしてお話を伺うことができたので、紹介したい。

「この試作車は懐かしいね。この最初の試作車を作るために、アメリカにスタジオを作ったんです。カルフォルニアスタジオでしたね。もともとはPPR(プロダクト プランニング リサーチ)のメンバーが広島からカルフォルニアに出張してきた際のケアグループが母体だったのですが、それをデザインするスタジオにしようと提案して、そこに私が派遣されたんです」

「スタジオといってもデザイナーもいなくて、人集めからはじめました。だから一番最初は開発コードも名称もなく、私たちのニックネームで『デュオ』って呼んでいました。この試作車には「V705」という正式なコードがついていますけどね」

――構想着手から5年、量産開発から3年という時間をかけデビューしたNA型ロードスターですが、開発初期から重視していたファクターは?

「それはオープン2シーターのライトウエイトスポーツです。マツダにはRX-7というスポーツカーがあったので、2台もスポーツカーはいらないという議論もありましたが、サバンナRX-7 カブリオレとは違うオープン2シーターを持ってもいいはずだ、としてカルフォルニアから提案させてもらいました。カルフォルニアのデザインスタジオの最初の仕事がこのプロトタイプになります」

――このプロトタイプモデルのデザイン的な特徴は?

「皆さんよく聞かれるのは、ボンネットの2つのバルジです。これはエンジンの大きさや形状とは無関係で、シートのセンターなんです。シートの後ろにバルジを付けたので、ボンネットがフラットだとバランスが取れないので……。これでもまだ足りないでしょ。走らせてみるとツルンツルンの丸いリンゴみたいに見えたので、我々は『アップル君』と呼んでいました(笑)」

「実はこのカタチから、量産車のデザインに移行するまで2年かかりました。サイドにラバーが入っていますが、このクルマのボンネットはフロントヒンジの逆アリゲータータイプで、このラインからトップが起き上がります。古典的なスポーツカーらしさを考えてデザインしたんですが、軽量化云々の関係でエンジニアリングの方から要望があって、オーソドックスなボンネットにやり直しました」

――ドアノブも先進的なデザインですが

「これもやってはみたものの、手が引っかかるとかいろいろ問題点が指摘され、紆余曲折で量産車のドアハンドルが採用しました。あれでも女性の長い爪が割れるとか言われて、NB(2代目)ではファミリアのドアハンドルに戻してしまいました」

「もうひとつ、やりたかったのはトノカバー。これをハードタイプで作りたかったんですが、価格に跳ね返って売れなくなるということで泣く泣く断念した経緯があります。これは前方が起きて、幌を出して締める作りだったんですけどね」

奥行きが深くて魅力的な1台に仕上がった

――この試作一号車から量産車にたどり着くまでに、譲れなかった部分は?

「それはリトラクタブルライトです。コストもかかるし、重量もかさむんですが、スーパーカーの象徴でしたから。社内でも採用するかしないかでたくさん話し合ったんですが、NBの頃には法規的にNGになってしまったので、NAで採用してもらえて本当に良かったですね」

「ボンネットもスポーツカー的に大きく開けられると、全部のメカニズムが見えて偉観だったんですが、前述の通り、ラインだけ残されてオーソドックスなボンネットになりました」

――インテリアは?

「インテリアは、クレイモデルで作ったものをそのまま型抜きして樹脂で再現したものです。2シーターのライトウェイトスポーツカーを作りたい。それを日本から世界に発信したい、ということでしたから。アメリカには、1950年代からジャガーやMG、トライアンフなどブリテッシュスポーツのオープンカーが輸入され支持されてきました」

「それが1980年代に入って、安全基準や排ガス基準など法規に適用できなくなってきて、需要はあるのにそれに応えるクルマが見当たらない状況だったのです。だからリニューアルしたカタチで、新しい2シーターオープンのライトウェイトスポーツカーを作ろうと呼びかけたんです」

――ウィンドレギュレーターハンドルも個性的で

「1980年代前半のライトウェイトスポーツカーでは、パワーウインドなんて考えられませんでしたから。マツダには山本健一さん(社長)をはじめ、経営陣の中に優秀なエンジニアがいらっしゃった会社だからこそ、こういうクルマを作ることができたんです。とくに山本さんは『自動車文化論』、『感性エンジニアリング』を唱え、作り手の「こうしたい」というものを実現するために、開発チームは大変苦労していました」

「ドライバーが感じたことにどれだけ忠実にクルマが応えるか。これが『感性エンジニアリング』ですね。マツダ独特の発想です。NAロードスターも適当に乗ると走ってくれない。でもドライバーが『俺が走らせないといけない』という気持ちで乗ると、よく走ってくれるんです。そこが面白いところですね」

「つまり乗り手が上手になると、それだけクルマもよく走る。クルマに馴染むにしたがって、どんどん心地のいいクルマ変わっていくわけです。だから奥行きが深くて魅力的。もうひとつ。壊れないというところも付け加えたいですね。私もNAのロードスターに30年乗り続け、41万567kmも乗っていますが、エンジン関係では20万kmのときに交換した電気関係のケーブルと、ピストンリングだけですよ!」

「広島から鹿児島まで日帰りでドライブしたり、京都や大津も日帰り圏内ですね。いまでも夫婦二人で、年に数回ロングドライビングを楽しんでいます。NAロードスターのオーナーさんは、私と同じように、ずっとロードスターを愛し続けてくださっている方が多いので、プランナー冥利に尽きますね」と福田成徳さんは語ってくれた。

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