生産終了から17年ぶりに復活
日本の元号が令和に変わった2019年5月、ついにトヨタからスープラが復活した。GAZOO Racingのブランドである「GR」を冠した新生スープラは、これまでのグランツーリスモ的なキャラクターから一変、2シーターの純スポーツカーとして蘇ったのだ。
2002年に途絶えた「スープラ」がピュアスポーツとして復活したことにキャラクターが変わってしまったと異論があるかもしれない。しかし、スープラの進化を振り返れば、いまのスタイルになるのは自然なことだったと理解できるだろう。まずは1978年に初代スープラ(日本名:セリカXX)が誕生したときまで時計の針を戻してみよう。
初代スープラ、日本ではセリカXX
北米市場では「スープラ」、日本ではセリカXXと呼ばれたA40型スープラが生まれたのは1978年4月。アメリカンテイストのスペシャリティカーとして人気を博した「セリカ」が2代目にフルモデルチェンジした後のことだ。 1977年8月にフルモデルチェンジしたA40型セリカLB(リフトバック)のノーズを伸ばし、そこに2リッターと2.6リッターの直列6気筒エンジンを積むという、ある種の乱暴な作り方によって生み出された。こうした生い立ちを聞くと、元祖「羊の皮をかぶった狼」こと日産スカイライン2000GT-Bを思い出すが、じつはスープラの誕生には日産が誇るもうひとつのスポーツカー「フェアレディZ」の存在が欠かせない。
1970年代、北米市場において日産のフェアレディZが大ヒットしていた。すなわち手頃な価格で、スポーツカーらしいロングノーズに直列6気筒エンジンを搭載したモデルをトヨタも求められたのだ。そうしたニーズが、初代スープラの商品企画の原点としてあったという。
ただ、トヨタには2000GTというヘリテージがあり、すでに1978年の段階で伝説と化していた。そこで、初代スープラ(セリカXX)には、2000GTと共通のT型フロントグリルが与えられたのだ。
ちなみに、この初代スープラはA40/A50と2つの車両型式で表記されているが、A50というのは、1980年8月のマイナーチェンジにより四輪独立懸架サスペンションに変わってからのモデルを指す。同時に、セリカXXには2.8リッターエンジンも与えられた。ただし、次のフルモデルチェンジが近づいていたこともあり、その販売期間は非常に短かった。