初代は「大物殺しの小さな巨人」と讃えられた
ダイハツ創業110周年を記念して「Light you up!」のキャッチが展開されているのは、皆さんもご存知の通りです。自分らしく、軽やかに輝くモビリティライフをダイハツは提唱しています。実はいまから40年近く前に世界が注目したモータースポーツ活動の現場で小さなクルマを鍛え上げ、ダイハツが挑戦した姿そのものが「Light you up !」でもあるのです。
「サファリが驚いた!」というキャッチコピーで、1982年当事に新聞広告や雑誌広告で話題を呼んだのが、初代ダイハツシャレード(角形ヘッドライトの後期型)でした。わずか993ccOHC3気筒の自然吸気エンジンを搭載したスモールカーで、世界一過酷な5000kmもの荒野を走って争う世界ラリー選手権(現WRC)のサファリラリーに挑んだのです。そのサファリラリーで、初代シャレードはまさかのクラス優勝を遂げたのです。
世界ラリー選手権の中でもとりわけサファリラリーは「クルマ壊しのラリー」として世界でも特に知名度の高いラリーでした。だからこそ世界中のメーカーが自車の耐久力と技術力、そしてポテンシャルの高さを証明しようと挑んでいました。1982年のサファリラリーにダイハツは初代シャレードを3台投入し、3台とも見事に完走を果たしています。さらに驚くべき事実は、全行程5012kmもの悪路を走破したシャレードでしたが、なんと交換したショックアブソーバーは3台でたった4本しかなかったというのです。「軽量こそ最大の武器」というモータースポーツのセオリーをまさに具現化したのが、タフで壊れない初代G10型シャレードだったのです。
復元された初代シャレードを見てもお分かりの通り、改造範囲は最小限に留めています。素材となったノーマルG10型シャレードの簡素で頑丈な作りを最大限に活かしつつ、世界一過酷なラリーに対処するために軽量コンパクトなまま堅牢に仕上げているのが写真からも見て取れます。また燃費性能も抜群で、アクセル全開率が高くアベレージスピードの速いサファリラリーで、リッター8kmをマークしてライバルメーカーを驚かせたのです。その実力を目の当たりにしたアフリカの人たちやジャーナリストからシャレードは以来、「リトル ジャイアント キリングカー(大物殺しの小さな巨人)」として現地でも大人気となりました。
幻となったWRC用ミドシップマシン
ダイハツは現地ディーラーチームの挑戦も含めると、1978年から1993年まで連続して15回目もの世界ラリー選手権のサファリラリーへ挑戦しています。その間にシャレードも初代G10型から二代目G11型、そして三代目となるG100型へとスイッチしています。
ダイハツは、コンパクトカーでのハイパワー化を早くから「ターボ技術」導入で成し遂げてきました。今でこそ3気筒エンジンが軽自動車やリッターカーなどのコンパクトカー用エンジンでは主流となっていますが、ダイハツがシャレードで採用した4サイクル3気筒エンジンは当時としては画期的でした。それは、振動が難点とされ、20世紀初頭でしか見られなかった形式でしたが、ダイハツはバランサーシャフトで克服。1977年から採用したのです。また1リッターという小型エンジンへのターボ過給器の採用は、1983年に登場した二代目シャレードの「猫科のターボ」(当時の広告用キャッチコピー)として世に送り出されています(このすぐ後にシャレード・デ・トマソが登場)。
ちなみに二代目シャレードが発表された当時は、WRC選手権の車両規定がグループBとなり、ラリー競技車両のベースとなるマシンが200台以上生産されていれば参戦可能となっていました。このためダイハツでもグループBホモロゲーション用にシャレード926ターボを200台生産しました。車名の926は排気量を表しており、当時ターボ過給機のついたエンジンには総排気量を1.7倍するという計算式規定があり、ノーマルの996ccでは1.3リッター以下のクラスに編入されないことから926ccにスケールダウンしたのです。
さらにシャレードで驚くべきトピックは、1985年の東京モーターショーに突如として現れたモンスターマシンです。926ターボ用の76馬力エンジンを12バルブのツインカムターボとし120馬力にアップ、しかもミドシップに横置きにエンジンを搭載したシャレード・デ・トマソ926Rという化け物マシンを作り上げたのです(残念ながらこの計画はお蔵入りされ、そのショーカー用マシンも現存しない模様)。
2リッター4WD車を蹴散らし5〜7位を獲得
これらの15年に渡るサファリラリー挑戦などのノウハウを注ぎ込んだマシンが、三代目となったG100型シャレードです。市販車でもリッターあたり100馬力を超える出力特性を持ち、最大トルクもわずか3500回転で13.3kgmを発揮するフレキシブルでいてハイパワーなラリー競技向きのエンジンにしつらえられました。この三代目シャレードがサファリラリーに出場する頃の出場車規定は、少量生産で特殊車両で争われていたグループBから、生産車ベースで改造範囲の狭いグループAというマシン規定となっていました。
1992年のサファリラリーには4台のグループAラリー規定に仕立てられたシャレードが参戦しています。三代目となったシャレードは、ここでも小型コンパクトでトータルバランスの高さを活かした走りで、エントリーした4台すべてが完走を果たす快挙を達成しています。さらに続く1993年のサファリラリーでは、総合優勝を争い合う並み居る2リッターターボの4WD車両の中、出場した3台のシャレードが大番狂わせとも言える驚異の走りを披露したのです。総合優勝を遂げたセリカGT-Fourは、1位から4位までを独占。その次に総合5位でゴールしたのが、たった1リッターの前輪駆動車シャレードだったのです。それどころかシャレードは、5位〜7位と2リッターターボ4WD車両の中に割って入る大番狂わせを成し遂げたのでした。
残念ながらダイハツとシャレードのWRCへのワークス挑戦は、この三代目となるシャレードが5〜7位と快走を見せた1993年が最後となってしまいました。写真を見比べていただければお分かりの通りに、マシンの作り方も10年の間に相当変わっていることに気がつかされます。例えばフロントの大きなフォグライトですが、初代はただ付けているだけに対して三代目では汚れるのを見越してウォッシャー液で洗浄できるように工夫されています。またラリー用計測器もアナログだったものがデジタル化されていたり、ロールケージの取り回しやシートなどを見るだけでも、たった10年の差ですがこの二台のシャレードを見るだけで大きな時代の流れを感じさせられます。
このような二台の歴史的価値のあるラリーカーのシャレード復元は、ダイハツにとっても日本のモータースポーツ界にとっても深い意義のある活動だと言えます。ダイハツP5の復元活動に始まり今回の二台のシャレードの復元など、ダイハツが有する貴重なヘリテージを大切にしてこそ、コンパクトカー作りにこだわり続けるいまのダイハツの立ち位置がより鮮明になると思うのです。貴重な二台のシャレードは、2019年7月一週目までダイハツ東京本社のショールームに展示されている予定なので、興味のある方はぜひとも足を運んでご自分の目でお確かめください。
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※平日のみ
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