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サーキットだけでなくラリーにも参戦!トヨタ・スープラ海外モータースポーツ奮闘話5選

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: トヨタ/BLITZ/住友ゴム/Auto Messe Web編集部

FALKEN SUPRAが2000年にニュル24時間参戦

 最近ではGazoo Racingの名のもとにトヨタ/レクサスが精力的に参加を継続、またスバル/STIも参戦を続けることで、モータースポーツ界にとっては“年中行事”となったニュルブルクリンク24時間耐久レース。1990年にはNISMOがR32型スカイラインGT-Rで参戦し、グループNクラスで優勝を飾っていたが、継続的に参戦したのはFALKEN MOTORSPORT TEAMが、その嚆矢(こうし)だろう。

 99年に参加を開始した同ファルケンモータースポーツチームの活動は、日本におけるスーパー耐久選手権とリンクしていて、チャンピオンチームがチャンピオンマシンで参戦するのが基本だった。ただし2000年に関しては全日本GT選手権(JGTC)のGT500仕様で仕立てたトヨタ・スープラを投入している。

 様々なカテゴリーのツーリングカーやGTカー、いわゆる“ハコ車”が集まる中、GT500仕様はクルマのパフォーマンスとしても高く、決勝レースでは一時総合3位まで進出していたが、残念ながらクラッシュでレースをリタイアしている。

 

急遽出場したサファリ・ラリーで3位入賞 

 SUPRAの活躍はもちろん、オンロードのサーキットレースに限ったことではない。広大な大地を駆け抜けるラリーも充分、その守備範囲に入っていた。

 世界ラリー選手権(WRC)といえば一昨年に復帰して活動を再開したトヨタが、昨年には早くもマニュファクチャラーズタイトルを獲得したことも記憶に新しい。しかし、スープラ(70系)が活躍したのは30年余り、遥かな昔となる87〜88年。車両規定もグループBからグループAへと移行する端境期のことだった。

 そもそもグループBの時代からトヨタはサファリ・ラリーだけでなくコートジボワール(アイボリーコースト)も含めてアフリカのラリーを得意としていた。レギュレーション変更でグループBが廃止され、グループAが次なる主役に引っ張り出されたために、トヨタは“ツインカム・ターボ”の愛称で知られるセリカGT-TS(TA64型)に代わる主戦マシンを開発することになった。

 ただし当時主流になっていく4WDシステムを装着した“マシン”を5000台も販売するのは大メーカーのトヨタにとってもハードルが高かった。そこでショートリリーフとして招集がかかったのがグループAとしてレースデビューを果たしていた70系スープラだった。

 そもそもがラリー向けの車両でなく駆動方式もシンプルなFR(後輪駆動)。それでもパワーと直進安定性を武器にアフリカの大地を味方につけ、87年のサファリ・ラリーでは見事3位入賞の大金星。同年の香港~北京ラリーではビョン・ワルデガルドが総合優勝を飾っている。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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