スーパーホワイトが憧れのボディカラー
ハイソカー。いまや死語となった自動車用語だが、50歳以上の方には懐かしい響きだろう。”ハイソ”とはハイソサエティの意味で、訳すと「上流階級」となる。現在で言うところのセレブだろうか。つまり、セレブカーというわけだ。実際に上流階級が乗っていた超高級車ではなく、ベースは国産車。あくまでも上流階級風というのが正解に近いだろう。
火付け役としてお馴染みなのが、1986年に登場したトヨタの2代目ソアラ。初代からすでにハイソカーとして注目されていて、モデル末期でも人気があっただけに2代目の基本デザインは初代を踏襲したほどだ。TEMSやエレクトロマルチビジョンメーターなど、電子制御を採用しつつ、電子制御のエアサスも世界初で採用するなど、バブル時代の盛り上がりとともに人気はうなぎ上りだった。
また、今から見ると想像できないかもしれないが、当時としてはデザインも外観は伸びやかでクリーン。内装も質感が高く、高級感あふれるというのもハイソカーにふさわしいポイントだった。
さらにハイソカーといえば、マークII/クレスタ/チェイサーの三兄弟を忘れてはならない。しかもボディカラーはスーパーホワイトIIだ。
この3車種はそのまま乗っていてもハイソカーだったが、今で言うところのエアロブームの先駆車でもあり、さりげないデザインのスポイラーを付けてドレスアップしたクルマもハイソカーと呼んだ。街道レーサーが終焉を迎え、次に出てきたカスタムブームがハイソカーブームというわけである。ちなみに内装色はソアラにもあった、昭和のスナックのようなワインレッドが人気となって定番化された。
スーパーホワイトIIのつながりで、白いクラウンもハイソカーとして人気だったが、他の国産車メーカーも黙っていたわけではない。トヨタのライバルたる日産からはローレル、セドリック/グロリア、そして真打ちのレパードが登場。とはいえ、「ハイソカー=保守的なトヨタ車」という図式があり、結局のところ牙城は崩せなかった。その分、シーマやグロリアはヤンチャな層に受けたし、なかでも初代シーマはシーマ現象と呼ばれるほどに大ヒットした。
振り返ってみると、ハイソカーブームの凄いのはクルマそのものを楽しむのではなく、女子大生ブームともリンクしていたところにある。いわゆるオールナイトフジの世界だが、実際に女子大の校門前には迎えのハイソカーがズラリと並んでいたものだ。もちろん乗っているは男子大学生だった(髪型は吉田栄作バリのツーブロック)。
デートカーブームと同じように思えるが、ハイソカーが先べんを付けたといえなくはない程度で、まったく別物というのがまたバブル期の凄いところだ。