青木3兄弟がバイクで再び走りだす
練習中の事故で半身不随となり車いす生活を余儀なくされた元WGPライダー青木拓磨選手は、2019年7月25日(木)~28日(日)に鈴鹿サーキットにて開催される「2018-2019 FIM世界耐久選手権最終戦 ”コカ・コーラ” 鈴鹿8時間 耐久ロードレース 第42回大会」で前夜祭と決勝レース前セレモニーにおいて、デモ走行を披露する。7月9日には、三重県の鈴鹿サーキットをロードレーサー(バイク)で走行した。しかも、青木三兄弟といわれロードレース界を圧巻した兄・宣篤、弟・治親も加わったというのだから驚きだ。
じつは、この走行が行われる約1ヶ月前に、我われは3人の兄弟が集まり、半身不随の拓磨選手が実際にオートバイに乗ることができるかの確認するテストが行われた。その現場の取材に成功していたのである。
青木拓磨といえば、1990年にバイクのレースであるロードレースにデビューし1995年〜1996年の全日本ロードレース選手権スーパーバイク・くらクラス連覇。翌1997年にはロードレース世界選手権(WGP)に出場しランキング5位を獲得。そして「今年はチャンピオンを獲れるのではないか?」という期待が高まっていた1998年のシーズン前のテスト中の事故によって脊髄を損傷。下半身不随となってしまい、その後車いす生活を余儀なくされている。
しかし、その後レース活動のフィールドを4輪に移し、車いす4輪レーサーとして「アジアクロスカントリーラリー」や「ダカールラリー」というラリーレイドや「GTアジア」などの国際格式レースに参戦。そして、昨年フランスの耐久レースVdeV(ベドゥベ)耐久選手権にシリーズ参戦をし、6月に開催したル・マン24時間耐久レースの前座レースである「ロード・トゥ・ル・マン」にも参戦。来年は、24時間レースへの挑戦を目指している。
そんな拓磨選手だが、ロードレースの世界では青木三兄弟としてよく知られている。1974年生まれの拓磨選手は次男だが、1971年生まれの長男・宣篤、1976年生まれの治親がおり、3人ともにポケバイからスタートし、ミニバイクレースを経てロードレースへ参戦を果たす。1995年のWGP日本グランプリでは3人がそれぞれクラスは異なるが表彰台に上がるという快挙も成し遂げ、そろってWGPへステップアップするなど兄弟3人が世界で活躍したのだ。
現在は、それぞれが別の道に進んでいる。宣篤選手はスズキのマシン開発テストライダーを務めながら鈴鹿8耐に参戦を続けている。そして治親選手は2003年にオートレースに転向。川口オートレース場所属のオートレーサーとして活躍している。
共に幼い頃からレースを競い合ってきた兄 信篤氏・弟 治親氏の「もう一度 拓磨をレーシングバイクに乗せたい」という想いではじめたのが“Takuma Rides Again”プロジェクトだ。
さらに拓磨選手が乗るバイクはなんの補助機構がないことも驚きだが、長らく不仲説が伝えられてきた青木兄弟3人で一緒に走るというのは業界として驚愕の企画である。
事故によって車いす生活を余儀なくされた拓磨選手にとって、完全な2輪車に乗ることは長らくなかったのだが、それが多くの2輪ファンの前で実現する。しかも、その舞台は3兄弟ともに表彰台を獲得した思い出の鈴鹿8耐。拓磨選手にとってじつに22年ぶりの鈴鹿サーキットの走行にチャレンジするわけだ。
実は、この発表の約1ヶ月前の5月末のある日、3人は千葉県にある袖ケ浦フォレストレースウェイに集合していた。実際に拓磨選手がバイクに乗ることができるのか、ということを確認するためだ。
といっても、治親選手は年間120ものレースをこなすオートレーサー。宣篤選手もメーカーの開発テストやイベント、さらには自身の鈴鹿8耐参戦の準備もある。もちろん拓磨選手はル・マンに向けた耐久レースやアジアクロスカントリーラリーへの挑戦準備、そして各種イベント運営まであって、3人ともに「超」がいくつあっても足りない多忙な人間。テスト走行は、前日夜に急遽決まったという。
そんな状況のため、暫定的に治親選手が所有しているホンダCB1000Rに拓磨選手が乗って走行のための装備を付けた。足を置く通常のステップを、ビンディングのついた特殊なステップに付け替え、拓磨のライディングブーツにクリートを取り付け、これで足を固定する。またボタン式のシフターも装備。ハンドル横にスイッチを用意し、シフトアップとダウンはこのスイッチを押すだけでシフトペダルを操作することなくシフト操作が可能となる。フロントブレーキは右手で操作が可能だが、リアブレーキ(右足側のペダル)は間に合わなかったので、暫定的に制動操作はフロントブレーキのみとなる。なお、7月9日の練習走行ではイギリス製のハンドシフト装置をバイクに付けた。
拓磨が走りだす!ピットにいた誰もが拍手
実に21年ぶりに革ツナギ(厳密にいえばセパレートタイプであるためツナギではないかもしれないが)の袖に腕を通す拓磨選手。「ツナギってこんなにきつかったっけ? サイズ間違えてんじゃないの?」とパッドも入っていて、なかなか脱ぎ着のしにくい革つなぎに苦戦しながらも、終始ここ数年で見たことのないほどの笑顔。すでにテンションが上がっている。
車いすからの移乗はスタッフ総出で行った。バイクにまたがるのも大変な作業だ。それでもバイクにまたがり足を固定させたら、すぐにライディングポジションを確認。さすがレーサーである。
そしてエンジンを掛けスタンドを外すと拓磨選手はゆっくりとアクセルを開けていく。たまたまこの場に居合わせた4輪走行会の一般参加者も、ピットアウトしていく拓磨選手を温かい拍手で送りだす。
最初の1ラップ目こそ非常に慎重な走り出しだったものの、周回数を重ねていくにつれてスピードも上がっていき、見守る兄弟とスタッフは「転倒しないだろうか?」と冷や冷やであったが、無事に何事もなく走行を終えた。この日の走行会の合間を使って2回に分けて拓磨選手は走行を行ったが、用意された2回目の走行枠では予定の20分をほぼ走り切った。
「久しぶりに風を感じた」と走行を終えた拓磨選手。撮影された写真や動画を確認して「全然バイクが寝てない」と自身のイメージとその実際の違いにちょっと残念がっていたようだが…。当初はタイヤのグリップ感が全く分からない、と言っていたが、2本目の走行を終えて表面の溶けたタイヤを確認して満足の様子。さらにはステップの取り付け角度であったり、シートクッションのことであったり、改良ポイントなど3人で協議を始め、このプロジェクトはこんな感じで進みだしていたのだ。
そして来る7月27日、宣篤、拓磨、治親の3人が鈴鹿サーキットを走る。ロードレースファンはもちろん、すべての人にぜひこの感動の走行をその目で見てほしい!