いま、古き良きデザインを見直す
少し前にもてはやされたワードに「ギャップ萌え」がありました。キッチンに立つ姿が想像できないほどのギャルなのにじつは料理上手だったり、見た目とは裏腹の姿に自然と惹かれてしまうのは人間のサガかもしれません。
周期的に流行が巡ってくるアパレルの世界では、何十年周期でトレンドが繰り返されています。ヒット曲U.S.A.を歌うDA PUMPのメンバーが身につけていた90年代風のファッションがそうでした。当時を知らない若い層には「これ新しい!」と映るんですね。
カーデザインの世界もそれを狙ってか、クラシカルなデザインをまとった商品がリリースされ、ひとつのジャンルを確立しているといえます。ユーザー側の気持ちとしては、故障の心配なく古き良き雰囲気を味わえるのと、希少性からさりげなく目立てるところに所有するよろこびを感じるポイント。そんな「性能は先進なのに見た目はクラシカルな国産車」を見ていきましょう。
ダイハツ・ミラジーノ
軽自動車のレトロ風に仕立てる商品企画のスマッシュヒットといえば、1995年に発売されたスバルのヴィヴィオ・ビストロでしょう。丸目ライトとメッキグリルをモスグリーンのボディカラーに組み合わせて懐古調を演出、多くのフォロワーを生み出しました。
そしてダイハツもミラをベースに対抗していましたが、より差別化を図るため1999年に「ミラジーノ」を投入します。潔いくらいにクラシックMINIをリスペクトしたモデルで、ボンネットやフェンダーも丸目のベゼルに合わせてデザインされ、後付けカスタム車にありがちな違和感はありませんでした。本家MINIと同じ「ミニライト」なホイールを履いたモデルもありました。
時は奇しくも、オリジナルMINIが生産終了のタイミング。上手にライトユーザーの受け皿となってヒットに結びつきました。3気筒エンジンはターボ仕様や5MTモデルもあり、のちに1000cc版も追加されましたがこちらの人気には火がつかなかったようです。
2004年には2代目にバトンタッチ。規格ヘッドライトを卒業したレトロフューチャー風デザインは、MINIがNEW MINIに進化したような路線へ。キャラクターはおとなしめになり、エンジンはノンターボ、ミッションはATだけに絞られました。
この2代目ジーノは2009年にミラココアへと車名変更。長らく続いたレトロ路線がこれにて終了しました。ただ初代ジーノについては、現在でも新車のようにフルレストアしたり、よりMINIに近づけるカスタマイズを施してくれるスペシャルショップが存在し、人気は続いています。
トヨタ・クラシック
トヨタが出していたレトロモデルは、アニバーサリーを記念して出すだけあって利益を度外視したスペシャル仕様が揃ってます。何より崇高なのは、流行に乗っかって作ったのではなく自社製品をしっかりヘリテージしているところでしょう。
記憶に残っているモデルとしてまず挙げられるのは「トヨタ・クラシック」。”市販車生産60周年”を記念して作られたクラシックは、1936年に誕生したトヨタ量産車の始祖「トヨダAA型」を再現したもの。当時はまだメーカー名は「トヨダ」であり、車名がなく型番で呼ばれていた時代でした。 これを趣味ではなく記念事業として復刻し、なおかつ新車として販売するという途方も無く高いハードル。当時の完璧な図面はあるわけではなく、もしあったとしても安易に転用できるはずもありません。作業に携わった方々のご苦労がしのばれます。
ふくよかなサイクルフェンダー、おまけのように添えられたヘッドライト。その佇まいからは、昔のことは何も知らない人でも、醸し出す威厳を感じることが可能。ベースがハイラックス・ピックアップと聞いて二度驚いたものです。 手がけたのはトヨタテクノクラフト(現トヨタカスタマイジング&デベロップメント)、生産はワンオフに近い作業を通じて、コーチビルダー的知見も蓄積されていきました。
トヨタ・オリジン
2000年に発売された「トヨタ・オリジン」は”累計生産1億台”を記念しただけあり、その偉業に恥じない限定版でした。
ベースは、”小さな高級車”を標榜していたトヨタ・プログレ。実用車ではないところが、遮音性や高級感の演出にも追い風でした。それを大胆にも観音開き化。外装でプログレを残すのはわずかフロントウインドウというくらい、パネルはすべて新調されています。組織としては、通常の新車開発と同様にチーフエンジニアを据え、関連サプライヤーとともに作り上げました。
なお、プログレの倍という700万円の価格に世間は驚きましたが、1000台という限定台数ではまったくペイできないにもかかわらず世に出した決断に「漢」を感じずにはいられません。故・樹木希林さんが愛車として乗り継いでいたことでも知られており、わかる人にはその価値が伝わっていたようです。
わずかながら中古車市場に出回っていますが、絶えてしまう前のラストチャンスといった様相です。
日産 Be-1
バブル前夜、多種多様なプロダクトに湧いていた国内市場。車両制御技術など先端エンジニアリングをアピールする”先進技術の日産”の対極に位置していたのが、パイクカーでした。
実用車のプラットフォームをベースに、着替えるようにボディデザインをガラリ変え新たな商品として成立させるという、兄弟車・姉妹車作りとはまた違ったアプローチの礎となったモデルが1987年登場のBe-1でした。
モチーフとなったのはクラシックMINIといわれていますが、イケイケだった当時の空気感では、懐かしさより新しさでフィーバーしていた記憶があります。アパレルなどオリジナルグッズも横展開、派手なプロモーションもあって新車価格約150万円が、オークションではあれよあれよという間に200万円を超えたことも話題になりました。
ベースは初代マーチだったため、実用性は過不足なし。電動キャンバストップもキャラクターを補完していました。
日産 PAO
Be-1成功のパッケージを落とし込んだ次作が、1989年に発表された「PAO(パオ)」。ブランドプロデュースを外部に委託し、モーターショーにプロトタイプを並べ反響をリサーチし、生産もまた外部委託。受注期間を短くとって市場の飢餓感を煽るというプロモートも含めて、Be-1の戦略がトレースされました。
Be-1よりもクラシックに振られたエクステリアのモチーフとなったのは、ルノー・キャトル。プロポーションはベースのマーチに合わせて伸縮させながら、うまくジャパンナイズされました。昔の実用アイテムだった三角窓は、レトロ調の演出として採用。リヤハッチは、ガラス部分が別体でオープンしたりと雰囲気と使い勝手のバランスが優れていました。
前述のミラ・ジーノのように、新車のようにレストアやエンジン載せ換えといった作業を得意とする専門ショップも健在。長らく営業を続けている老舗も多く、こうしたレトロカーが若者を中心に根強い人気があることの証明です。
光岡・ロックスター
日本の誇るビルダーである光岡自動車がリリースする市販車。ここ数作はとくに、リスペクトする元ネタを再構築するワザが着実に進歩していると感じます。
マツダ・ロードスターがベースの「ロックスター」。元ネタになったのは、言わずと知れたC2シボレー コルベットスティングレイです。彼の地アメリカでも街中で見かけることなど皆無で、はるか昔からコレクターズアイテムと化しているモデルですね。
ビンテージな雰囲気たっぷりのオープンカーを令和の時代に転がすことができるのですから、500万円に迫る価格でありながら200台の生産枠が瞬殺なのも納得です。
光岡・ビュート
1993年から日産マーチをベースとしてリメイクされている「ビュート」もすでに3代目。リヤにトランクを追加することでベース車のイメージを払拭するという手間のかかった作りですが、車両価格を含めてもっとカジュアルに乗りたい層に向けて、リヤ部分はほどほどの改造に抑えた「nadeshiko」も追加するなどマーケティングも上手になってきました。