幼少の頃に見た衝撃がGT-R愛の始まり
これまでの紆余曲折の中で、GT-Rは水野氏の手を離れた時点でともすれば消滅してしまう可能性も大いにあった。そうした危機を乗り越えてこれたのは、引き継いだ田村氏のGT-R愛があってのこと。
なぜならば田村氏は、R35GT-R以前のGT-Rに関わってきたことはもちろん、そもそも日産自動車にいる理由が「GT-Rを作りたい」という想いに端をはっするものだからである。
田村氏がその想いを抱いたのは10歳の時。当時の日本グランプリにおいて、富士スピードウェイで雨の中を走るスカイラインGT-Rを見て感じた衝撃こそが、氏のGT-R愛の始まりだった。その想いを胸に、様々を経て田村氏はいま日産GT-RのCPSを務めているのだ。
ちなみに最新カタログの最後のページには、小さな子供が日産GT-Rのミニカーを持って遊んでいる写真が掲載されている。それはかつて田村少年がGT-Rに心動かされた頃を、イメージできるようなシーンでもある。そして同時に、こうしたシーンが作れる、夢のあるクルマであることを、この写真は示しているのかもしれない。
今後、日産GT-Rがどのように扱われていくかは分からない。次期型の噂は聞こえてこないし、田村氏に聞いても何らヒントのようなものも感じない。しかしながら今回、ドイツで日産GT-Rニスモ2020モデルを試乗して、筆者も改めて驚愕したと同時に、これは間違いなく日本が世界に誇れるプロダクトであることを改めて痛感した。
そしてその裏側に、田村氏をはじめとする日産の人々の、GT-Rへの深い愛があるからこそ、こうしたプロダクトが存在し続けていられることも確信できた。
ならば果たして、そんな愛は今後の日産のクルマ作りでも垣間見ることができるのだろうか?
もしくは日産GT-Rにとって代わるような、日本が世界に誇れるプロダクトを世に送り出せるのだろうか?
それがとても気になるのだ。