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街中を走るクルマがレーシングカーに? 海外レースで大活躍した90年代の国産車

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TEXT: 藤田竜太(FUJITA Ryuta)  PHOTO: マツダ/日産

クルマ好きが白熱したレース

 国産車にとっても元気があった1990年代。国内でもグレープAレースをはじめとした様々なレースが盛り上がっていた。国内より海外のレースで活躍で注目されていた車種が何台かある。今回は代表的なマシンをピックアップして振り返ってみよう。

フェアレディZ(Z32)

 1990年代にアメリカで人気を得たレース、IMSA-GTクラスで最強とまで言われたのは日産300ZX=フェアレディZ(Z32)だった。1989年に発売されたZ32は、1990年からIMSAシリーズにデビュー。外観こそZ32そのものだったが、シャシーはスペースフレームでエンジンは700馬力にまでチューニングされたV型6気筒(VG30DETT)を搭載。ドライバーは、クルマ好きならお馴染みのスティーブ・ミレンで1992年にはドライバーズタイトルとマニュファクチャラ—の二冠を達成している。

 1994年には、デイトナ24時間レースとセブリング12時間レースという2つのビッグレースを制覇。同年のルマン24時間レースにも参戦し、クラス優勝(総合5位)という結果を残した。スティーブ・ミレンはもともとヒルクライムやオフロードレースで活躍していた選手だったが、300ZXの活躍でZファンの間ではレジェンド的存在のレーシングドライバーとなった。

マツダRX-7

 アメリカのIMSAレースといえばマツダRX-7も主役級の一台。1980年代に初代RX-7(SA22A)で多くの勝利を重ねていたRX-7は1990年、2代目FC3Sでデイトナ24時間レースのGTOクラスで2位に入賞(4ローターのマシン)。同年、同年IMSAシリーズで通算100勝をマーク。

 3代目FD3Sにスイッチしてからは1992〜1994年までバサースト12時間耐久で総合3連覇を達成。デイトナ24時間レースでもGTUクラスで、92年、93年に優勝している。

日産プリメーラ

 グループAレースの終焉後、世界のツーリングカーレースの主流は、NA2リッターの4ドアセダンベースに移っていった。なかでもイギリスツーリングカー選手権=BTCCは、ハイレベルで人気も高く各メーカーがしのぎを削る戦いとなった。

 そんなBTCCには、日産(プリメーラ)、トヨタ(カリーナ、コロナ)、ホンダ(アコード)、マツダ(ファミリア アスティナ、ユーノス500)の国産勢も参戦。とくに日産プリメーラは、93年に初優勝(P10)。1997年にはP11型のプリメーラGTを投入し、ここから日産の快進撃が始まる。

 1998年にはマニファクチャラ—ズタイトルを獲得し、1999年には全26戦のうち6度のワンツーフィニッシュを決めている。同年のドライバー、マニファクチャラ—ズ、チーム、インディペンデントの4つのタイトルを総なめした。90年代のBTCCで最強の一台として記憶されるクルマになった。

 なお、余談だがBTCCと言えば、1980年代のグループA時代に、三菱のスタリオンも活躍していた。1985年にはBTCCで優勝もしており、この年、富士スピードウェイで行われたインターTECでは予選3位、決勝も国産勢最速の4位を記録している(ドライバーはM・リュー、中谷明彦組)。

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  • 藤田竜太(FUJITA Ryuta)
  • 藤田竜太(FUJITA Ryuta)
  • モータリング ライター。現在の愛車:日産スカイラインGT-R(R32)/ユーノス・ロードスター(NA6)。物心が付いたときからクルマ好き。小・中学生時代はラジコンに夢中になり、大学3年生から自動車専門誌の編集部に出入りして、そのまま編集部に就職。20代半ばで、編集部を“卒業”し、モータリング ライターとして独立。90年代は積極的にレースに参戦し、入賞経験多数。特技は、少林寺拳法。
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