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似て非なるアメリカの自動車ブランド、フォードとキャデラックの原点は兄弟車だった

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田了

普通車と高級車の棲み分け対決はなかった両社

 戦後、ヘンリー2世(ヘンリー・フォードの孫)が経営権を継承したフォードは戦後モデル「フォード・カスタム・デラックス」を49年に発売。そのヒットによって、一時はクライスラーにも抜かれ赤字経営に陥っていたフォードは回復を果たします。

 54年に発売した2座スポーツカー「サンダーバード」も、ライバル共々スポーツカー市場で苦戦していましたが、58年には4座仕様にチェンジ。

 64年にはポニーカーと呼ばれるマスタングを投入して新たなマーケットを切り開いていきました(下写真/左)。そして85年には、トーラスがトップセラーの座を獲得するなど、元気を取り戻すことになってゆきます(同/右)。(49年式フォード・カスタム・デラックスと62年のマスタング・コンセプト、86年式のトーラスはヘンリー・フォード博物館で撮影。ブルーの58年式サンダーバードはジョージア州トッコアの館で撮影)。

 

 

 一方のキャデラックは戦後も高級車路線を邁進。戦後すぐに戦前モデルの再生産を始めましたが、47年には早くも戦後モデルが登場、以後も各シリーズが戦後モデルに置き換えられていきます。

 50年代には、最上級パーソナルモデルのエルドラドがテールフィンのついた5代目へと移行。華麗なボディデザインはテールフィンの時代の名車として今にも語り継がれています。

 同時に往年より、新機軸/新技術を盛り込むことに長けていたキャデラックの伝統も踏襲されており、67年に登場したエルドラドの8代目ではフルサイズ初の前輪駆動を採用。これは前年にオールズモビル・トロネードで初採用となった技術を流用したものですが、米国内でも2番目、高級車としては初めての採用だったのです。

(白い49年式のクーペ・ドゥビルと、赤い59年式のエルドラド・ビアリッツ・コンバーティブル、黒い67年式のフリートウッド・エルドラドは、ミシガン州スターリング・ハイツの GMヘリテイジ・センターで撮影)。

 

フォードはSUV、キャデラックはダウンサイジングへ

 フォードが昨年、SUVや商用車を重視し、小型乗用車の生産を縮小する方針を打ち出したことは記憶に新しい。今後、主力となるSUVのF-350“Super Duty”などのライバルは、GMではシボレーの”シルバラード”などとなり、ダウンサイジングを進めて小型乗用車に力を注ぐとされているキャデラックとの直接対決は見られそうにありません。

(シルバラード(写真左)とF-350“Super Duty”(同右)のツーショットと、キャデラックの CT6-Vは、ともに今年6月、シボレー・デトロイトGPが開催されたデトロイト市内のベルアイル公園内の特別展示で撮影したもの)。

 こうして振り返ってみたフォードとキャデラック、両者の歴史には兄弟車どころか、気になる接点さえ見当たらないのです。ところが実はその歴史の最初、ともに1903年に発売した名前も同じA型に大きな接点があったのです。

 ヘンリー・フォードはエジソン電灯会社在職中に、ガソリンエンジンを搭載したクォドリシクル(4輪自転車)を個人で製作するほどの技術を持っており、1899年に設立されたデトロイト・オートモビル・カンパニーにチーフエンジニアとして招聘されていたのです。

 しかしフォードは常に『大衆車を作りたい』と願っていたので、他の経営陣と衝突し、僅か3年で退社。1903年には自らの名を冠した、現フォードの前身であるフォード・モーターカー・カンパニーを設立するのでした。一方、フォードが去ったデトロイト社は、フォードの助手だったヘンリー・マーティン・リーランドによってキャデラック・モーター・カンパニーに改組されることになった、というわけなのです。

 そして1903年、フォードとキャデラックは、同じA型と名付けた乗用車を発表。この2台は、スタイリングからメカニズムまで、多くの類似点を持っていることはよく指摘されてきましたが、それも当然の話で、デトロイト・オートモビル・カンパニー時代に、フォードとリーランド、2人のヘンリーが協力して開発を続けていたモデルがベースになっているからなのでした。

 フォードのA型とキャデラックのA型。それぞれ最初に登場させたクルマは、基本設計が同じ、いわゆる兄弟車。T型に代表される“大衆車”のイメージが強いフォードと、ひたすら高級車路線を突っ走ってきたキャデラック。双方の原点が同じクルマだったのは実に興味深いものでした。

 2人乗りのフォードA型はヘンリー・フォード博物館で撮影。4人乗りのキャデラックA型はミシガン州ヒッコリー・コーナーズのギルモア博物館キャンパスにあるキャデラック・ラセール・クラブ博物館研究所で撮影したもの。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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