PWRCで常勝だった国産ベースマシンたち
かつて、市販車よりも最高出力を制限されながらも、ラリーの世界選手権で勝ち続けたスバル・インプレッサと三菱・ランサーエボリューション。ラリー競技の世界最高峰WRCの中で、主にプライベーター向けカテゴリーとして行なわれたPWRCのN4マシンたちは、どうして馬力を制限され、なぜ速く走ることができたのだろうか。
プライベーター向けカテゴリー“グループN”
WRC(世界ラリー選手権)は、FIA(国際自動車連盟)が主管するラリー競技の最高峰シリーズ。各メーカーがワールドラリーカー(WRカー)と呼ばれる専用マシンを投入し、改造範囲が広く、いずれもモンスターマシンといった仕上がりだが、投入できるのは各メーカーのワークスチームに限られている。
一方、WRC直下に位置する下部シリーズのWRC2ではカスタマー向けに開発されたR5仕様車がベース。その下位クラスではR3仕様車やR2仕様車が活躍するなど、現在の国際ラリーシーンはグループ”R”が主流で、プライベーターは排気量と改造範囲で分けられたR5~R1までのマシンで参戦しているが、ひと昔前までは“グループN”という規定が主流だったのである。
このグループN規定は1981年にグループAやグループBと合わせて誕生した国際規定のこと。ワークスチームが1982年から1986年にかけて幅広い改造範囲を持つグループBでタイトル争いを展開したほか、1987年からWRカー規定が導入される1997年まではグループAがトップクラスとしてタイトル争いを展開したが、グループNは改造範囲が狭いことから、プライベーターのためのカテゴリーとなっていた。
国産勢もワークス体制で参戦
グループNもグループAやグループB、さらに現在のグループRと同様にエンジン排気量に応じてクラスが分類されていた。具体的には1400cc以下がN1、1401cc~1600ccがN2、1601cc~2000ccがN3、2000cc以上がN4クラスに設定。なかでも注目されていたのが、グループNの最高峰に位置するN4クラスに他ならない。
N4クラスの主力モデルはスバル・インプレッサWRX STI、三菱ランサーエボリューションの国産4WDターボで、1990年代に入るとグループAのワークスマシンの背後でプライベーターがN4モデルで激しい走りを披露。
2002年にN4マシンを主力とするPWRC(プロダクションカー世界ラリー選手権)が設立されるとスバル、三菱ともに実質的なワークスチームやサテライトチームを擁立し、トップドライバーを起用しながら、激しい開発競争を展開していた。
国産マシンが10年連続チャンピオン
2002年に初開催されたPWRCで初代チャンピオンに輝いたのは、マレーシアのメーカー、プロトンが製造したペルトを駆るカラムジット・シン選手。だが、それ以降は日本車がクラスを席巻する。
まず、スバル勢では、2003年のマーチン・ロウ選手(スバル・インプレッサ/C型GDB)を皮切りに、2004年のナイオール・マックシェア選手(同/D型GDB)、2005年の新井敏弘選手(同/E型GDB)、2006年のナッサー・アルアティヤー選手(同/F型GDB)、2007年には再び新井敏弘選手(同/F型GDB)、2011年のハイデン・パッドン選手(同/GRB)が年間チャンピオンを獲得。
一方、三菱勢も、2008年のアンドレアス・アイグナー選手(三菱ランサーエボリューション9)、2009年~2010年のアルミンド・アロンジョ選手(三菱ランサーエボリューション9)、2012年のベニート・ゲラ選手(三菱ランサーエボリューション10)と、スバルもしくは三菱を駆るドライバーがチャンピオンを獲得し続けた。