死と隣り合わせで生きるドライバー
例年、9月は5月病のようにメンタルの変調を来す時期といわれている。また、9月1日前後は中高生の自殺が最も多くなることでも知られている。子供の頃から競争社会、そして同調圧力の強い現在の日本は、誰もが生きづらさを感じているはず。
そんな生き馬の目を抜くビジネスの世界で、“9月病”になりかけている社会人の皆さんに、前向きな気持ちになってもらえるよう、世界の頂点をかけて熾烈な争いを勝ち抜いたトップレーサーたちのポジティブな言葉をお届けしよう。
佐藤琢磨
「NO ATTACK NO CHANCE(攻めなければ、チャンスはない)」
まずは日本人初のインディ500ウイナー、佐藤琢磨の名言。日本人初のイギリスF3チャンピオン、マカオGP優勝、F1日本人最高位タイの3位、そしてインディでの活躍と、実績は歴代日本人ナンバーワンだろう。
今シーズンも第14戦のポコノで多重クラッシュの原因を作ったとして非難されたが、本人とチームは身の潔白を主張。そうした辛い状況下で、翌第15戦のゲートウェイで周回遅れから逆転優勝。
その琢磨の信条こそ「NO ATTACK NO CHANCE(攻めなければ、チャンスはない)」。周囲を力で納得させる勝負強さをみせつけた。
キミ・ライコネン
「もう歳だね。スポーツよりお酒の方が安全だ」
2007年のF1ワールドチャンピオンのキミ・ライコネン。来月40歳になる現役最年長のライコネンは、サマーブレイクの間に筋肉を痛め、先のベルギーGPへの出場が危ぶまれた。チームはサードドライバーをバックアップに待機させていたが、レースに出場。決勝は6番手スタートで、スタート直後の接触の影響もあって、16位でフィニッシュした。
怪我は休暇中にスポーツをして肉離れを起こしてしまったが、「スポーツは危険だね。酒を飲む方が安全だ。二日酔いぐらいで、普通は怪我はしないからね」とコメント。ライコネンは、お酒好きとしても知られている。
また、2012年アブダビグランプリで、セーフティーカー導入中のエンジニアとの無線のやり取りで、「Leave me alone, I know what I’m doing(放っておいてくれ。自分がしていることは分かっている)」と発したことも有名。彼はこのレースで、F1復帰後の初勝利を挙げている。
アイルトン・セナ
「いくら自分に完璧を求めても、完璧な人間なんてどこにもいない。結局、自分や他人の失敗から学んでいくしかないんだ」
F1ブームの絶頂期、1988年・1990年・1991年にワールドチャンピオンになったアイルトン・セナ。彼の3度のチャンピオンは、マクラーレン・ホンダでの記録で、ホンダの黄金期を支え、セナ・プロ時代を築いたF1界きってのスタードライバー。彼の連続ポールポジション8回の記録はいまだ破られていない。
上記は“音速の貴公子”と呼ばれた彼の名言。また「ヒューマンエラーは0にできない」とも発言している。セナは1994年のサンマリノGPの決勝中にタンブレロ(カーブの名称)でグリップを失い、200km/hオーバーでコンクリートウォールに激突。帰らぬ人になってしまった。
当初、ウイリアムズFW16のパワーステアリングの故障が原因として疑われたが、真相は解明されていない。