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内装ワインレッド、外装ゴールド! 昭和の国産車がイケイケな色合いだったワケ

ハイソ時代は上質な色使いがモテた?

 20世紀の後半まで、ホワイトはベーシックグレードの代表的なボディカラーだった。が、現在は高級ムードの演出に欠かせない”色”となっている。ホワイトといっても人気が高いのは、塗装工程を増やし、キラキラとした輝きを加えたパールホワイト。日本の自動車メーカーが先鞭をつけたが、欧州車の採用も増加しており、どの国でも人気の高いのはホワイトとブラック、そしてグレー系のメタリックとなりつつある。

 クルマのボディカラーは、服飾と同じように世情を反映。ファッション性を重視した、流行のカラーが好まれる傾向にある。本当は他のクルマやドライバーから分かりやすく、視認性に優れた色のほうが安全だと思うのだが、例えばブラックは真っ暗闇の中ではドライバーや歩行者から気づかれにくい。安全のためには目立つ色がいいのだが、それよりも好みで選ぶ人のほうがはるかに多いのである。主役は自分だから、無難なホワイトやブラック、シルバーの3色が全体のほとんどを占めるようになった。無難な3色だからリセールバリューも心配ないだろう。

 が、昭和はポップなボディカラーがモテはやされた時代。1970年代は排ガス対策と安全対策に追われ、2度のオイルショックもあったから地味な色味が好まれた。高級車に多かったのが、ワインカラーや苔のようなモスグリーン、土くさいブラウンなど。その後、日本が元気を取り戻し、イケイケとなった80年代になると、鮮やかなボディカラーをまとったクルマが増えたのである。

 その代表例は、80年夏にマツダからデビューしたFF方式のファミリア。それまでのエントリーモデルは3BOXのセダンボディが主役だったが、ファミリアはシビックに続いて2BOXデザインを採用、主役の1500XGはドアと一体になった優雅なラウンジソファシートや電動サンルーフを装備した。

 ずばり、テーマカラーは鮮やかなレッド。当時のバンパーは樹脂製のブラックだったから、鮮やかな赤が際立ったのである。エンジとブラックとのコンビシートも赤いボディカラーに似合っていた。

 真っ赤なファミリアはデートカーとして大ブレイク。ルーフ上にサーフィンボードを載せた”陸サーファー”も出現した。トヨタや日産が、ファミリアの好調に刺激を受け、ソックリさんを送り出したことも話題となった。今じゃ採用車がほとんどない、目も覚めるようなイエローのボディカラーも意外にウケたのである。

女性ファンまで意識したカラーリング

 81年2月にデビューしたトヨタの初代ソアラはハイソカーブームの火付け役となったプレステージ・スペシャルティカー。もちろんボディ色はチャレンジングなものだった。イメージカラーは、ベージュとブラウンのツートーン、いわゆる”ホリゾンタルトーニング”だ。

 ゴージャスなインテリアも売りで、ワインレッドの内装色は注目を集めた。その後、雲母片を散りばめ、美しい輝きを放つパールマイカを送り出すが、ソリッドカラーのスーパーホワイトが大ヒットし、おとなしい色調が増えていくのであった。

 日産車では88年5月に登場した5代目のS13系シルビアも大胆カラーを採用。スポーティな2ドアクーペは精悍なブラックや無難なホワイドが多いが、シルビアはテーマカラーに優雅なライムグリーンとダークグレーのツートーンを選んだ。

 S13系シルビアは”アートフォース”をキャッチフレーズに、柔らかい曲線ボディをPRした。そこで女性ファンを意識してライムグリーンを選んだのだ。他にも上品なイエロイッシュシルバーやパープリッシュシルバーも人気となり、シルバーの色味だけでも複数用意するなど、色へのこだわりはハンパなかったのだ。

 同じ時期に登場した日産シーマもボディカラーに強いこだわりを持つ。3ナンバー専用ボディのプレミアムサルーンとして88年1月に登場したが、主役はリッチな感覚のグレイッシュブルーメタリック。このほかにキワモノのグレイッシュブラウンメタリックや渋いグリーンメタリックを用意するなど、高級感への提案を積極的に行なった。

 また、シーマより少し前の85年夏に登場した7代目のスカイライン、R31系は初めて4ドアハードトップを設定し、ボディカラーには鮮やかな赤やツートーンを設定。そしてインテリアも当時の日産車に多い絶壁型のインパネを採用しているが、ハイソカーを意識して内装色を数多く用意した。

 例えば、「アドバンスセレクション」はグレーとブルーのツートーン内装で、インパネはブルー仕上げ。「GTパサージュ」にはブルーのインパネにブルーのファブリックシート、エンジ色のインパネと内装にワインレッドのシートを組み合わせた。

 まさに、これらの調律はハイソカーを意識したものだったことが分かる。バブルを経験した昭和の時代は、エクステリアに派手なカラーを用い、インテリアも艶やかだったのだ。

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