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期待は大きかったが空振り三振!1980〜90年代に売れなかったクルマ5選

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TEXT: 永田恵一  PHOTO: トヨタ/シボレー/ホンダ/Auto Messe Web編集部

「巨人、大鵬、卵焼き」から育っていった昭和にも残念だったクルマがあった

 景気が良かったことや、環境性能や安全性などクルマに求められる要素が少なかった1980年代から1990年代は、チャレンジングなクルマを現代よりずっと作りやすかった時代である。もちろんいつの時代も、どんなクルマにも巨額な費用や大変な手間が掛かる商品だけに、熟考に熟考を重ねて開発される。しかし1980年代から1990年代のクルマには、特に丹精込めて企画、開発され、大きな期待のなか登場したにも関わらず空振り三振に終わったクルマというのもあり、元号が令和に変わった今振り返ってみると……。

トヨタキャバリエ(1996年)

 1970年代から低価格で信頼性と耐久性が高く、燃費もいい日本車はアメリカで売れまくっていたのに対し、対照的に当時のアメリカ車は日本でまったく売れないという貿易摩擦が大きな問題となっていた。その問題緩和の目的もあり、トヨタは当時GMとの合弁工場を持っていた関係などからGMのミドルクラスカーであるシボレーキャバリエを販売していた。

 キャバリエはトヨタでの販売にあたり右ハンドル化はもちろん、日本車を基準にすれば逆となることが多い輸入車のワイパーとウインカーのレバーを日本車と同じにする、価格は当時のコロナプレミオなどの日本車と同等の200万円以下とする、プロモーションもCMキャラクターにタレントの所ジョージさんを起用するといった万全の体制を敷いた。

 しかし、キャバリエに強い魅力がなかったこともあり「趣味性を求めない実用車を買うなら同じ値段の日本車や同じお店で売ってるトヨタ車を買った方が無難」という消費者心理には勝てず、販売不振により値下げをしてもまったく売れず。最終的には当初の年間販売目標台数の2万台に対し、5年近い販売期間で累計販売は4万台にも満たなかった。

 トヨタは「なかなか約束はしないが、約束したことは守る」というよき社風を持つメーカーだけに、キャバリエは「トヨタがすべきことをシッカリやってもダメだった」ということが強く印象に残った。

日産インフィニティQ45(1989年)

 インフィニティQ45は初代セルシオと同時期に、それまで日本車になかったベンツSクラスやBMW7シリーズといった世界の名立たる高級車に挑戦するラグジュアリーカーとして登場した。世界規模で戦う高級車を含めた後発の高級品には「機能で先発を圧倒するか、先発にはない個性を持つ」ということが求められるが、インフィニティQ45は後者を選択。

 具体的にはフロントグリルレスが目立つ個性的なスタイル、七宝焼きのフロントエンブレムなどをはじめとした日本文化の強調、4.5リッターV8エンジンの搭載や強制的にロールを抑えるアクティブサスペンションの採用により「高級車ながらスポーツカーのように走る」といった点が特徴で、確かに唯一無二の高級車ではあった。

 しかしこのコンセプトは矛盾するようだが、保守的なユーザーが多い高級車マーケットにおいてまったく受け入れらず、同期の初代セルシオとは対照的に日産の壮大な挑戦は残念ながら大失敗に終わった。

ホンダレジェンド初代モデル(1985年)

 初代レジェンドは当時ホンダがイギリスのローバー社と業務提携を結んでいたこともあり誕生した、日本車でいえばトヨタ・クラウンや日産セドリック&グロリア級のホンダ初の高級車である。

 直6エンジンに後輪駆動というクラウンやセドリック&グロリアに対し、V6エンジンを横に置くFF(前輪駆動)車ということでキャビンの広さを武器に、マイナーチェンジで日本車初のエアバッグの採用。さらにターボラグを減らすべく開発されたウイングターボを盛り込んだ2リッターV6ターボの搭載、2ドアクーペの設定など、意欲的なクルマだった。

 しかし高級車ながら日本で好まれる押し出しに欠けるスタイルだったことや、いかんせんレジェンドという車名ながら高級車に重要な歴史、伝統、名声といったものがない点を覆すほどの高い機能や個性がなかったこともあり、アキュラブランドで販売されたアメリカ市場では成功したものの、日本では低空飛行が現行モデルに至るまで続いている。しかし一時的な空白はあるものの、レジェンドが今も続いていることは大変立派なことである。

ユーノスコスモ(1990年)

 マツダはバブル期に後に大変な痛手となる5ブランド制に代表される、販売チャンネル拡大路線を選ぶという大勝負に出た。5ブランドにおいてプレミアムブランドを担当するユーノスの誕生もあり、ユーノスコスモはマツダコスモとしては4代目モデルとして登場した。ユーノスコスモはそういったクルマだけに輸入車で言えば現代のBMW8シリーズのようなラグジュアリークーペとして大きなボディを生かした流麗なスタイル、世界初のGPSカーナビを採用したインテリア、リアは片側に2本のダンパーを持つサスペンションを持っていた。

 そしてエンジンは未だ世界でマツダしか量産化してないロータリーエンジンを搭載し、そのロータリーエンジンには12気筒並みのスムースさを持つ3ローターターボも設定するなど、当時のマツダが実用化できることすべてを盛り込んだ贅沢なクルマであった。

 しかしフタを開けてみると、ATと組み合わせる高級車と3ローターターボのマッチングの悪さや、3ローターターボは「全開加速をすると燃料系の針が下がっているように見える」と言われるほどの燃費の悪さ、バブル崩壊に加え、マツダのユーノスコスモのような高級車を売るブランド力がなかったことなどが原因で、インフィニティQ45と同様に壮大な失敗作に終わった。

スバルアルシオーネ(1985年)

 アルシオーネはスバルが当時のレオーネをベースに開発したスペシャリティな2ドアクーペである。当時のスバルは今以上にマニアックなメーカーだったのもあり、空気抵抗の非常に小さいスタイル、ゲームセンターにあるゲーム機のようなデジタルメーター、4WDのクーペである点、のちに水平対向6気筒エンジンを搭載したことなど、とにかく独創的なクルマだった。

 しかしあまりに独創的なクルマだったため、アメリカではそれなりに売れたものの、日本ではまったく売れなかった。

 こういった強烈な空振り三振カーは、メーカーとしては収益という面ではもちろん痛手だが、挑戦したことで得たものというのも少なからずあり、クルマ好きには名脇役として記憶に残るなど、まったく無意味なものではない。しかしいろいろなことが厳しい現在においてこういったクルマが登場する可能性は限りなくゼロに近いのはちょっと寂しいものである。

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