往時のレプソルカラーに当時のゼッケンを装着
10月18日(金)から栃木県のツインリンクもてぎで行われるMotoGP第16戦日本GP開幕前日の17日、宣篤、拓磨、治親の青木3兄弟が集結。26年振りに3人揃ってバイクで走行した。
長男・宣篤、次男・拓磨、三男・治親の青木3兄弟とは、ポケバイから世界の頂点であるWGP(世界ロードレース選手権、現MotoGP)にまで登り詰めた群馬県出身のライダー。次男・拓磨選手は、1998年2月にテスト中の事故で下半身不随となり、それ以後バイクには乗れなくなってしまった。
そのような拓磨選手を再びバイクに乗せることで、障がいのあるすべての人への支援をしていこうという「サイドスタンドプロジェクト」が立ち上がったのだ。すでに2019年7月、プロジェクトの第1弾として、三重県鈴鹿サーキットで行われた鈴鹿8時間耐久ロードレースで拓磨選手単独でのデモランに成功。
そしてサイドスタンドプロジェクトの第2弾となる今回、ツインリンクもてぎで「3兄弟でもう一度サーキットを走る」という夢を叶えたわけだ。
拓磨選手が乗るのは、ナンバーを取得できる市販MotoGPマシンとして発売された「ホンダRCV213V-S」。そのお値段は、なんと2190万円(一般的な1000ccスポーツバイクは約250万円)。下半身不随の拓磨選手でも走行ができるように、手で操作できるシフトチェンジ装置(通常のバイクは左手でクラッチ操作、左足でシフトチェンジを行う)を装着。カラーリングは、この走行のために、拓磨選手が事故の前年、GP500クラスに参戦していたレプソル・ホンダのレプソルカラーを採用している。
さらに当時と同じゼッケンナンバー「24」を付けていたのだが、「保存してあった」という当時物だというのだから驚かされる。
拓磨選手が着用するレーシング・ツナギは、今回の走行用に採寸し、新しく作ったオーダー・スーツ。こちらもレプソルカラーで、拓磨選手の現役時代はスポンサーワッペンを縫い付けていたものをプリントして再現。最新最上級モデルのレーシングスーツゆえ、現在MotoGPではレギュレーションとして義務付けられているエアバッグを内蔵。「これが(あの時)あったら脊損(脊髄損傷)になってなかったわ」と拓磨選手が語るほど、ライダーの装具の進化を実感している様子。
マシンのエンジンを始動できない
3人の走行予定は午後12時半からで、朝からサーキットに入り準備を進めていた。ところが「あと30分だから、そろそろ(エンジンの)暖気しようか? カギは?」という発言から事件が勃発する。RC213V-Sはスマートキーが無ければ走行は不可能。HRC(ホンダレーシング)のスタッフが何人いてもキーが無ければエンジンは掛けられない。2190万円のバイクは、公道も走れる市販車のためセキュリティも万全(レーサーマシンはカギは不要)。そのような事態を把握して青ざめる3兄弟のひとり。なんとスマートキーを自宅に忘れてきてしまったのである。結局、予定されていた時間での走行の機会は失われ、フォトセッションのみとなってしまった。
しかし、MotoGPをオーガナイズするドルナ・スポーツとの交渉の結果、急遽2時間後となる午後2時45分からの走行時間を用意してもらえることになった。
ところが、カギの到着は遅れに遅れ、走行が始まる15分前になっても、ホンダRC213V-Sのエンジンに火が入ることはなかった。カギを自宅から奥さんにもってきてもらうように依頼した3兄弟のひとりは、しびれを切らしてレーシングスーツ姿のままクルマでゲートまで向かってキーの到着を待つことに。そして走行時間がスタートする5分ほど前にようやくキーが到着し、3人は無事に走行を実現できたのである。
3人での26年ぶりの走行を終えた兄弟にMotoGP関係者や取材陣から拍手が贈られた。それぞれお互いの「ペースが合わない」だの、もろもろを言いあいながらも「カギが間に合ってよかった」とおかしなコメントでこの感動的な走行は締めくくられた。