国内モデルにRXシリーズに真打ち登場
マツダの車名につけられた「RX」は、ロータリー・エンジン(RE)を表すRと、その究極を示すXを連ねたネーミング。60年代後半に登場以来、主に海外モデルで名乗られてきました。70年代初頭、国内レースでスカイラインGT-Rと死闘を繰り広げたサバンナの最強モデルも開発コードである”RX-3″の愛称で呼ばれていました。市販モデルは「サバンナGT」と命名されており、1970年代の終わりになると、国内モデルでもRXを名乗るモデルが出現。ミドルスポーツカーから発展していったRX-7シリーズと、その後継モデルのRX-8です。RXシリーズ第2弾はRX-7とRX-8、そしてモータースポーツに関連したモデルを紹介しましょう。
3代に渡って繁栄したピュアスポーツ「RX-7」
RX-7の初代モデルが登場したのは1978年の3月。「サバンナRX-7」というネーミングのためにサバンナRX-3(国内のサバンナGT)の後継モデルと思われがちですが、RX-3が5座の4ドアセダンから派生した4/5座の2ドア・クーペだったのに対して、RX-7は4座の3ドア・ハッチバッククーペながらコンパクトなキャビンの前後にロングノーズとショートテールを組み合わせた、いかにもスポーツカー然としたデザインだったのです。
すなわち、RX-3はスポーティカー。RX-7はライトウェイトのスポーツカーへと昇華したのです。
搭載されたロータリーエンジンはRX-3と同じく2ローターの12A。83年のマイナーチェンジに合わせてターボ付きが追加設定されます。シャシーは、RX-7用に専用開発されたものでフロントにストラット式独立懸架、リアは4リンク+ワットリンクのリジッド式となり、ドライブフィールは軽快でライトウェイトスポーツを名乗るに相応しいものでした。
1985年の10月、RX-7は初のフルモデルチェンジで2代目となるFC系へ移行。ちなみに初代モデルの型式名としてはSA22Cが有名で、2代目のFC、3代目のFDとは整合性が見つかりませんが、実は初代モデルはSA22Cとは別にFB系という型式名も持っています。これは北米モデルが採用していたVIN(車両識別番号)コードでの型式名で、それ以降は国内モデルの型式名もVINコードに合わせてFC~FDと移行したのです。
搭載エンジンはインタークーラー・ターボを装着した2ローターの13B。パワー的には185馬力、最終的には215馬力にまで引き上げられました。また、リアサスペンションがセミトレーリングアーム+マルチリンクの独立懸架となり、またカブリオレがラインナップに加えられたことも特徴となったのです。
そんなFC3S型のRX-7がフルモデルチェンジで3代目に移行したのは91年10月。型式名はFD系で車名からはサバンナが外され、販売チャネル名を使って「アンフィニRX-7」と変更されました。
エンジンは、シーケンシャル・ツインターボでチューニングした2ローターの13Bを搭載、初期モデルでも最高出力は255馬力、最終モデルでは自主規制ギリギリの280馬力を発揮。呼応するようにシャシーも強化され、サスペンションは新開発の4輪ダブルウィッシュボーンが奢られました。また、ボディもひと回り大きく、重量は1.3トン前後となり、いよいよ本格スポーツカーの仲間入りを果たすことになったのです。
なお、イメージカラーであるグリーンの初代SA22C/FBと白い2代目、FCのカブリオレはマツダ・クラシックカー博物館フライで撮影。白い3代目のFDはソウル市郊外にある三星(サムソン)自動車博物館で2013年に撮影したものです。
最後のロータリーエンジン搭載スポーツ
2002年の8月にFDの「アンフィニRX-7」生産終了、3代/24年間に渡るRX-7のモデルライフも終焉を迎えます。しかし99年にRX-EVOLVのコンセプトモデルが公開。
そしてロータリーエンジン復活を待ち望むなか、03年5月にRX-8が登場。RX-7は2ドアの2+2、事実上は2シーターでしたが、RX-8は主要マーケットである北米において4シーターがマストであるとされたために、FD系の3代目RX-7とほぼ同サイズのボディとしながらも、観音開きのリアドアを持つ“フリースタイルドア”を採用。ホイールベースを275mmも延長したのです。
エンジンは自然吸気の2ローター13Bで最高出力は255馬力。重量も30kgほど重くなり、絶対的なポテンシャルではFD系のRX-7には後れをとるものの、4人のためのグランドツアラーとしては充分なパフォーマンスを発揮しました。
深紅のRX-EVOLVとRX-8 Design Modelのカットはマツダ広報提供。深紅のRX-8クレイモデルは広島のマツダ本社に併設されているマツダ・ミュージアムで撮影。
幻のRX-7グループS仕様車も
RXシリーズはモータースポーツでも活躍。サバンナGTの頃から国内ラリーにワークスが参戦していたマツダは、RX-7の初代モデルあたりからWRCなど海外のラリーにも参戦。1980年代、グループB/Aが競技車両の主役に上がるとマツダはRX-7(初代のSA22C)をベースにしたグループB仕様も開発されました。
さらにグループBから“先鋭化”したグループSのプロトタイプも製作。
またスポーツカーレースでは、1992年のアメリカ合衆国のIMSA-GTシリーズに参戦した「マツダRX-792P」がありました。91年のル・マン24時間で国産車として初優勝を飾ったマツダ787Bの後継というべきモデルで、カテゴリー的にはIMSA-GTP、787Bと同じ4ローターのR26Bエンジンを搭載していました。
2台体制で参戦し、第5戦のライムロックで#78号車が3位、第8戦のワトキンスグレンでは#77号車が2位入賞。写真のグループB車両はマツダ・クラシックカー博物館フライで撮影。グループS車両は、ヨコハマで開催されたヒストリックカーイベントで撮影。
さて、RX-7、RX-8と来ると、気になるのはRX-9ということになります。が、実はすでにRX-9は登場していたのです。1977年にフルモデルチェンジで登場したルーチェの3代目というか、その上級モデルに位置付けられていたモデルのルーチェレガート。4ドアのピラードハードトップに定形角型の縦4灯式ヘッドライトがとてもユニークなルックスを演出していましたが、このルーチェレガートにも12A/13BのREを搭載したモデルがラインナップされていました。その輸出モデルこそ、RX-9を名乗っていたのです。
シックなマルーンのルーチェレガートのカットはマツダ広報部提供。
それでも気になる次期RXですが、実は2015年の東京モーターショーに出展されていたコンセプトモデルのRX-Visionが次期RXに発展するのでは、との噂もありました。
噂されている価格帯が、上方にシフトしているのが気になるところですが、いずれマツダからの公式発表が待ち遠しい今日この頃です。