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レジェンド「のむけん」を父に持つ若手ドライバー、親から子へと継承するドリフト伝説

息子、圭市の名付けは尊敬するドライバーから

 野村圭市、年齢は23歳。彼の父親は、日本一有名なドリフトドライバー、「のむけん」こと野村 謙だ。モータースポーツファンならピンと来るかもしれないが、”圭市”という名前の由来は、のむけんが尊敬しているドリフトキングの土屋圭市氏から取ったもの。幼い頃からD1グランプリ(国内最高峰のドリフト選手権)の会場で週末を過ごすことが多かった圭市、彼にとって、サーキットはいつも“当たり前の居場所”だった。

 2018年シーズンでD1ドライバーを引退したのむけん。東京・お台場での最終戦の後、息子の圭市が主催する引退記念パーティーが行なわれた。圭市が自身で編集したという映像も流れ、参加者は素晴らしい親子関係に感銘を受けた。

偉大な父を追いかけプロドライバーへ

 そんな圭市の夢は、父のようにプロのドリフトドライバーになること。その夢に向かって、学生時代はドリフトの甲子園ともいえる「学ドリ選手権」に参加。そして2019年はD1グランプリへの登竜門「D1ライツ」へシリーズ途中から参戦。親父の愛機だった日産スカイライン(ER34)を受け継いでのエントリーというのも、ドリフト好きにはシビれるハナシだ。 しかし、この4ドアスカイラインはのむけんでさえ、初めの1~2年はドリフトコントロールができなかったというクセモノ。圭市にとっても、初めて乗るマシンに四苦八苦し、日光サーキットや名阪スポーツランドでの大会ではマシントラブルも続出、まともに走れることなく最終戦を迎えた。

父のマシンを駆り最終戦へ

 地元九州のサーキット「オートポリス」での開催ということもあり、最終戦では本番前から入念に練習走行を重ねてきた。元々は親父「のむけん」仕様だったマシンも、足回りやエンジンセッティングを変更することで、徐々に”圭市仕様”へと仕上がってきた。 コンディションを整えた圭市。監督兼スポッターの父は、一見いつも通りにふざけているようにみせる。だが、それでも朝イチからER34に乗り込んで、息子のためにマシンを入念にチェックする。 そして、単走前のチェックラン。カメラのファインダー越しに見た圭市の走りは悪くなさそうだ。早速、感想を聞いてみると「なんかいい感じやなかったですか? ぜひ、期待しとってください」と、手応えを感じ取っていたようだった。

 

 51台がエントリーした激戦のD1ライツ、オートポリス。2台が絡むように走る“追走”が行われる決勝に残れるのは、わずか16台。しかもD1ライツとは言っても、ベテラン、実力あるドライバーがいっぱい。トップ16に入るのは容易ではない。

まずは“単走”でまさかのトップ!

 いよいよ最終戦の予選ともいえる“単走”が開始。緊張の時間が近づく。「楽しんで走れ」と声をかけ、スポッター席へと去っていった監督のむけん。あとは自分との戦いだ。でも、家族がいて、支えてくれる仲間がいる。決して孤独な戦いではない。 単走Dグループで走る圭市。チャンスは2回で、2本のうちベストスコアを採用する方式で、上位16位以内が追走トーナメントへ進出。1本目はコーナー手前でリアを逆サイドに向ける“振りっ返し”の後、いい角度で横に向いてコーナーに侵入する。そのまま指定ゾーン(必ず通過しなければならない場所、減点対象)もしっかりとクリアし、ドリフト状態で駆け抜けていく。親父譲りの魅せる走りを、いつの間にか掴んでいた。 結果は「98.45点」。そのジャッジに、観客席からも拍手が起こる。その時点で堂々の暫定1位であり、これまでまともに走れなかったとは思えない素晴らしいパフォーマンスだった。2本目に入っても、誰もこのスコアを抜くドライバーは現れず、まさかの単走首位で突破した。

決勝進出を目指し“追走”トーナメントへ

 本人はもちろんだが、のむけん監督も、期待以上の結果に、本当に嬉しそうだった。ちなみに圭市の追走の腕前を聞いてみると、「意外と相手のフトコロにググッと入るのが上手みたいで、得意にしとるとですよ」とか。

 そして、決勝に向かうための追走トーナメント。初戦の相手は、実力ある斉藤真一郎選手。圭市は、結局マシントラブルに見舞われて、本来の追走の腕前を拝見することはできず終わってしまった。

 だが、来シーズンに大きな期待を抱かせるD1ライツ最終戦。父から息子へと、しっかりバトンは受け継がれた。

 いつの日か、「のむけんジュニア」と呼ばれるハードルを乗り越え、トップドライバー「圭市」として独り立ちできるよう頑張ってほしい。

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