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「スーパー・シルエット」という伝説の魔改造レースマシン、日産のターボ3兄弟に迫る【NISMO FESTIVAL】

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田了、増田貴弘、日産自動車

スーパー・シルエットは市販ターボ車の権化

 日本のレース界は60年代、世界との戦いの場、日本グランプリに向けて5リッターV8や6リッターV12など、まるで青天井で2座席オープンのレーシングカー(グループ7)の開発競争が続けられてきました。

 70年代に入ると排気ガス対策が急務、との理由からメーカー系のワークスチームが活動を変換、クルマ市場を活性化させるべく、市販車をベースにしたツーリングカーとその発展モデルによるレースが盛んになっていくのです。

 また、市販車に応用できる新技術としてターボチャージャーの開発も推進。70年代後半には「シルエットフォーミュラ」の愛称で呼ばれるグループ5のレースが世界的に隆盛となります。

 それらに呼応して国内では「スーパー・シルエット」と呼ばれるグループ5のレースが人気上昇。日産からはスカイライン(DR30系)やシルビア(S12系)、ブルーバード(Y910系)をベースにした“ターボ3兄弟”が登場しました。今年のニスモフェスティバルでもそろい踏みしていた、伝統のマシンを紹介しましょう。

【1982年 スカイライン Type KDR30 「Tomicaスカイライン・ターボ」】

富士のスタンドを未だに揺るがす人気ぶり 

“ターボ3兄弟”の長男と言えるのは、82年に登場したスカイラインでしょう。3兄弟と呼んでしまう仲ですが、誕生した順ではシルビア、ブルーバード、そしてスカイラインの順。3つ子と考えれば、最後に出てきた児が長男になるのは当たり前ですが…。

 スーパー・シルエットのスカイラインは「鉄仮面」という厳ついニックネームで知られるマシン、スカイラインDR30系がベースでした。

 パイプで組んだスペースフレームに、ベースモデルのモノコック(のアウタースキン)を張り付けるという構造。ターボで武装した2リッター直4ツインカム16バルブのLZ20Bエンジンをフロントに搭載して後輪を駆動するというパッケージは、シルビアやブルーバード共通のパッケージでシャシーの基本設計も共通です。

 スカイライン・ターボといえば、71年にスカイラインGT-R HTで全日本チャンピオンに輝いた日産のエース、長谷見昌弘選手のドライブで速さを見せつけました。

 この日、久々にサーキットに戻ってきたスカイライン、「最終コーナーを立ち上がってきた時にはスタンドのファンが一斉に立ち上がって大声援を送ってくれているのが、運転していても分かった」と長谷見選手、その人気ぶりはいまだに健在。結果的には富士で4勝(全8勝)を挙げていますが、記録だけでなく記憶にも残ったレーシングマシンと言えるでしょう。

 

【1983年 シルビア Type S12「NICHIRA IMPUL シルビア・ターボ】

サーキットを走りぬけた黄色の稲妻 

 スカイラインに続く“ターボ3兄弟”の次男坊とも言えるシルビア。白ベースのボディに黄色の稲妻というインパクトのあるカラーリングが印象的な1台でした。

 レースデビューしたのは82年で、この時は3代目、S110系のシルビアがベースモデル。しかし、83年シーズンにはシルビアがモデルチェンジして4代目(S12系)に移行したために、基本骨格(=フレーム)はそのままに、アウタースキンをS12風のものと交換して若返りを図っていました。

 ドライバーは、日産ワークスドライバーで“日本一速い男”として知られた星野一義選手。引退後に総監督を務めるようになったIMPULチームのメインスポンサーとして知られるカルソニックですが、この時はまだ旧社名である日本ラヂエーターとしてメインスポンサーを務め、NICHIRAが車名の一部に使われていました。

 星野選手とカルソニックの関係は、当時から連綿と続いてきたわけです。富士ではストレートエンドの1コーナーやグランドスタンド正面となるヘアピンへのアプローチで派手なバックファイアーを見せていましたが、ボディカラーの黄色の稲妻とともに星野選手のアグレッシブな走りを印象付けることになりました。

 

【1984年 ブルーバード Type KY910「Coca Cola ブルーバード・ターボ」】

ボクシーな2ドアクーペが大変身 

 スカイラインやシルビアとともに“ターボ3兄弟”としてレースを盛り上げたクルマが、Y910系ブルーバード。元々がスポーティなイメージで展開されていたスカイラインやシルビアと異なり、ブルーバードは従順しいファミリーセダンのイメージが強いのですが、2ドアハードトップ(KY910)がベースとはいえ、派手なカウルワーク&エアロパーツによりイメージを一新する大変身を遂げました。

 また、82年にデビューした当時は深紅の”Coca Cola”カラーでしたが、83年シーズンにはオレンジ&ホワイトの”AUTOBACS”カラーにお色直し。さらに、84年シーズンにはCoca Colaでもホワイトに銀のペンシルストライプを無数に配した”Coca Cola light”カラーへと変更されています。

 ハンドルを握ったのは“Zの柳田”、“雨の柳田”の称号を持つ柳田春人選手。70年代の終わりにターボの開発テストでP610系のバイオレット・ターボをドライブして以来、A10系に代わったバイオレット、KS110系のガゼール/シルビアをドライブしてます。

 柳田選手は、ノバ・エンジニアリングが車両開発、カウルワークをムーンクラフト、と国内最高レベルのレーススペシャリストが担当した“ターボ3兄弟”が誕生する前から、日産のターボ車に関わった人物。ある意味では育ての親、ということになります。

 そんな柳田選手のキャラクターと同様、ブルーバード・ターボも、日産のレーシングターボを語る上で欠かすことのできない“ターボ3兄弟”の立派な一員だったのです。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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