2018年に悲願のル・マン24時間制覇達成
富士スピードウェイで行われた「TOYOTA GAZOO Racing FESTIVAL(TGRF)2019」では、SUPER GTやスーパーフォーミュラなど“現役”の競技車両に加え、60年代の日本グランプリを戦ったトヨタ7などのヘリテイジモデルもコースを周回し、元気な姿を見せていました。
TGRFは言うなればトヨタ自動車のモータースポーツ感謝デーです。しかし、ライバルであるはずのマツダやスバル、そして日産の競技車両も登場し、トヨタの懐の深さを見せることに繋がりました。
中でも注目を集めていたのは1991年に国産車として初めてル・マン24時間レースを制したマツダ787Bを招待していたこと。これにはトヨタの矜持を感じさせられるとともに、改めてル・マン24時間に対する熱い想いを感じさせられました。
世界三大レースとか世界三大24時間レースなどと形容される「ル・マン24時間レース」は同時に、世界最大の草レース、とも言われてきました。これは同レースが、FIA(国際自動車連盟)などの選手権に迎合することなく、常にスポーツカーレースの最高峰として行われてきたことへの敬意を表しているのかもしれません。いずれにしても、スポーツカーを製造する世界中のメーカーが一目置く、最大にして最高のレースであることは間違いありません。
そんなル・マン24時間レースのエントリーリストに、初めて「Toyota」の文字が記されたのは1975年。日本から挑戦したシグマMC75にターボ仕様の2T-G型エンジンが搭載されていたのです。80年には童夢とトムスで共同開発した童夢セリカが参戦しています。そして85年からは童夢が開発し、トヨタのワークスエンジンを搭載した童夢・トヨタが参戦を開始。やがてトヨタがメイクスとして開発を主導したグループCカーへと発展して行きました。
今回は、そんなTGRFで展示されていたマシンたちから、グループCマシン以降のストーリーを振り返ってみましょう。
シリーズ初戦で優勝し、ル・マンで2位入賞
1992年 トヨタTS010
童夢とトムスが共同開発し、後にはトヨタ(TRD)が開発を主導するようになったグループCカーは、西暦年号+C(グループCを意味する)でした。例えばトヨタ90C-Vは、90年のグループCカーで、V型エンジンを搭載したことでC-Vを加えたネーミングとなっていました。
そのネーミングの法則を一新したモデルが91年のシーズン終盤に実戦でビューを果たしたTS010でした。これはトヨタのTとスポーツのSに開発ナンバーを加えたネーミングで、関係者からは“ゼロテン”と呼ばれていました。
TRDが開発を主導するのは従来から変わっていませんが、ジャガーのグループCカーや数々のF1GPカーを手掛けたキャリアを持つトニー・サウスゲートをコンサルタントとして招聘。エンジンがそれまでのV8ターボからNA3.5リッターV10のRV10ユニットに変更したのが従来モデルとの最大の相違でした。
91年シーズンの最終戦にテスト参戦した後、92年からスポーツカー世界選手権(SWC)にフル参戦。イタリアのモンツァで行われた開幕戦では小河等/ジェフ・リース組が優勝。ル・マン24時間でも関谷正徳/ピエール-アンリ・ラファネル/ケネス・アチソン組が2位入賞を果たしました。
ライバル・プジョーとの性能差は大きく、SWCでは1勝を挙げるに留まりましたがシーズン後半には日本国内で戦われていた全日本スポーツプロトタイプカー選手権に参戦。2戦2勝でダブルタイトルに輝いています。