サイトアイコン AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ)

ドリキン土屋圭市が立ち上げた「ドリフトキングダム」が9年の歴史の幕を下ろす

土屋氏が望むドリフト審査基準の再構築

 ドリキンこと土屋圭市氏が仕掛けてきたドリフトイベントといえば、稲田大二郎氏とともに2001年にスタートしたD1グランプリ。そして、この二人は2011年にD1から距離を置いたドリフトイベントとしてドリフトマッスルをスタートさせた。そして2018年よりドリフトキングダムと名称を変更してシリーズ戦を行っていたのだが、12月22日(日)に静岡県・富士スピードウェイで行われた2019年の最終戦をもって終了することになった。

 わずか2年でシリーズの終了となってしまったドリフトキングダム・シリーズだが、参戦者は推薦制度を活用し、来季以降は「D1グランプリ」および「D1ライツ」への参加資格を得ることが可能となっている。まだ推薦結果は発表されていないものの、キングダム最終戦の会場にはD1GPを主宰しているサンプロスの関係者も視察に訪れており、その走りを実際に確認していた。

 基本的にはドリフトキングダムはナンバー付きの車両で開催されており、D1GPに参戦するにはナンバー無しの専用車両を新たに製作しなければならない。それでも多くライセンス発行の希望がいたようだ。また、その下位カテゴリーの「D1ライツ」への参加を希望する10名近くにはライセンスの発行がされそうだ。ただ、ドリフトキングダム参戦者のなかにはD1への転向を希望しない選手もおり、ドリフトを楽しむエンジョイ層とD1参戦を希望する競技志向の高い層と分かれた。

 D1の発案から遡れば、土屋氏の手がけたイベントから数多くのトップドリフターが輩出されてきたわけだが、特にドリフトマッスルおよびドリフトキングダムを通して最も成長した選手は? という質問に土屋氏は「藤野!」と藤野秀之選手の名を一番に挙げた。

 藤野選手は、2015年-2016年ドリフトマッスルで連覇し、その後活動の場をD1GPへ移し、2017年にはD1チャンピオンを獲得。今年のFIAインターコンチネンタル・ドリフティングカップでも日本人最高位の2位を獲得している。「これ(ドリフト)で飯を食っていこうっていう気概が他の選手とは違ってた」と土屋氏は語る。

 ちなみにドリフトキングダムでは、「キングダムチャレンジ」というドリフト走行会形式の単走審査「キングダム・チャレンジ」も開催していた。ここでは、ドリフト・ビギナーが土屋圭市氏にドリフト走行を直接見てもらって、評価してもらう機会となっていた。

終了後はどうなる?

 ドリフトキングダムの終了と同時に、ビギナーが土屋氏に審査してもらう機会も失われてしまうわけだ。これに対し土屋氏は「審査をしてもらいたいっていう選手がたくさんいることは理解している」としながらも「(土屋氏が審査する機会は)来年から開催される“ドリフト・キングス”かなぁ」と語る。

 もともと土屋氏は「お客さんが首をかしげるような審査ではいけない」と、FIAインターコンチネンタル・ドリフティングカップ等での審査方法に疑問を持っている。そこでドリフト・キングスの審査員を務めることで、世界のドリフト審査基準の再構築を図るということのようだ。
 年間16戦で世界を回るドリフト・キングス2020は、11月14-15日に日本戦を栃木県・日光サーキットで開催する予定だ。

モバイルバージョンを終了