「自動運転車」が法規を守り安全に走るには
完全な自動運転車が実用化された時代では、自動運転車と人が動かすクルマが「混走」することもありうる。そのため、自動運転車は「制限速度」を厳守すべきかが議論されている。人が運転するクルマが、必ずしも制限速度を守るとは限らず、もし自動運転車が法規通りに走る場合、速度差などで事故に繋がる場合もあるからだ。
だが、その前に考えるべきは、現在の速度規制がクルマの性能などの実情に合っているかどうか。自動運転車の推進は、日本が抱える課題解決に必須。その第一歩として国は、法律などの抜本的改革を行う必要がある。
ハンズオフ運転で感じた制限速度の問題点
自動運転の実態を疑似体験できるのが、日産自動車のスカイラインに搭載された「プロパイロット2.0」だ。これは、運転の責任をすべて運転者が負う既存の”レベル2″という運転支援でありながら、ハンズオフと呼ばれる手放し運転が、自動車専用道路の本線上でできる。
カメラと高精度な地図データを基に、これまでのカメラとミリ波レーダーを主体とした運転支援とは比べ物にならないほど的確、かつ安心して手放し運転することが可能。これを試す多くの人が、同感できる高い完成度ではないかと思う。
一方、ハンズオフの運転で改めて課題が明らかになったのは、自動車専用道路での制限速度。新東名高速の一部区間を除き、他の高速道路の最高速度は時速100kmであり、自動車専用道路では時速60kmである。筆者がプロパイロット2.0を試乗したのは中央自動車道であったため、時速80kmでの走行となった。それでも淡々と走れるなら、80km先に1時間で到着できると読め、それほど精神的にイライラさせられることはない。また、時速100km以下で走行することは、燃費にも良いわけだ。
ただ、問題に感じたのは、河口湖方面から大月インターチェンジへ向かって、手前のトンネルに入るところから制限速度が時速60kmに下げられた状況。しかもこの区間で東京方面へ向かうには、2kmにわたり追い越し車線側を走らなければならない。ハンズオフの運転ではクルマは時速60kmで走行するため、後続車が次々と後ろに連なり、険悪な雰囲気になってしまった。
トンネル内での車線変更が危険であることは理解できる。だが、なぜ時速60kmで走らなければならないのか、その理由が定かではない。東京方面へ行くため車線変更できないまま追い越し車線を走らなければならないのであれば、それまでと同じ時速80kmで走行できるようにすべきではないだろうか。もし、トンネルという閉鎖された環境で、時速60kmでなければ走行に危険が及ぶのであれば、本線上の他のトンネル内も時速60kmとしなければ理屈に合わない。
さらに、インターチェンジの出口では、本線を離れるとすぐに時速40kmまで減速せねばならない。これも、インターチェンジの急なカーブに差し掛かったのならやむを得ないかもしれないが、ゆるやかなカーブ区間を時速40kmで走行するのは相当な苦痛だ。もちろん、後続車があれば滞留することにもなる。
クルマの性能に対し制限速度が低すぎる
この体験で感じたのは、法規を守って走る自動運転車が、実際の交通では他車の邪魔になる場合があるか否かというよりも、そもそも、現代のクルマの走行性能から考えれば、既存の制限速度の設定が低すぎるということだ。
現在の高速道路及び自動車専用道路の制限速度は、1962年に東京オリンピックに先立って建設された東京の首都高速道路や、日本の大動脈として1969年に東名高速道路が作られた当時から変わっていない。
当時、すなわち60年代のクルマは、エンジンは気化器にキャブレターを使い、タイヤはバイアス構造であり、ブレーキはドラム式がほとんどで、とくに後ろのサスペンションはリジッドアクスルが多かった。つまり、走行性能が今と比べれば、はるかに低かったのである。
当時の自動車が時速100kmで走ったり、首都高速を時速40kmで走ったりするのは精一杯であっただろう。その速度規制には意味があった。
しかし70年代後半からは、排ガス規制にともない燃料噴射が採用され、いまやキャブレターという言葉さえ知らない人が多いはず。タイヤは、何も言わなくてもラジアル構造であり、なおかつ80年代以降からは扁平化が進み、グリップは飛躍的に向上している。ブレーキも、少なくとも前輪用はディスクだ。そしてサスペンションは独立式になっている。
クルマを構成する技術水準が、50年を経て様変わりしている。それであるのに、なぜ、速度規制だけが50年前のままであるのか。大きな疑問がある。それを論議せず、単に自動運転車両が制限速度を守ると交通の流れを乱し、危険でさえあるといった話をするのは、的外れと言わざるを得ないだろう。
日本の将来に交通法規の改善は必須
国も、世界との技術競争のなかで、また、高齢化社会における移動手段の確保といった政策上、自動運転車を推進するのであれば、まず交通の法規(速度制限や車線変更の仕方など)を改善することが前提だ。それなくして、世界を相手にした技術競争など、「絵に描いた餅」でしかなく、滑稽ですらある。
消費者も、表面に見える現象だけで良し悪しを論じるべきではないだろう。日本が世界の先端と並んで技術革新により発展し、豊かで快適な生活を続けられることを望むのであれば、課題解決のための根本を探る視点が不可欠だ。
クルマに限定すれば、もはや人が自分で運転するだけでは課題解決できないほど、高齢化のみならず、人口の一極集中化など、様々な社会問題が生じている。それらを乗り越えるには、もはや電気自動車(EV)の普及と自動運転を実現するしかない。
なぜなら、自動運転の精緻な制御は、もはやエンジンでは間に合わないからだ。スカイラインのプロパイロット2.0がハイブリッド車(HV)にしか設定されないのも、モーター駆動できるためである。EV普及は、環境問題の解決だけでなく、自動運転の実用化にも必要不可欠だろう。
都市部には、公共交通機関が充実し、問題ないと考えるむきもある。しかし、ディーゼル車が増え、ガソリン車も直噴エンジンが増え、たとえば東京の地平線にはすでにかつてのスモッグが滞留しはじめている。気候変動の抑制だけでなく、大気汚染させないためにも、排ガスゼロは待ったなしだ。交通のための移動手段としては、EV+自動運転しか日本の将来はない。